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長さ約25cm。最大幅5cm強。絵付けデザインは似ているが同系のベトナムのものより遥かに質が高い。総手工の素材だけあり重厚感ありしっかりしている。支点を立てて焼成した難易度の高い高級品である。 販売終了 PR |
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細かい仕事、細工が細かい程度の意味。
現在中国で流行っている、絵付けはほとんど細密画や写実画を中心とした 「工筆画」である。 およそ絵が細かくないと売れない。 大変な弊害だ。 もうただ細かければそれでいいと言うのはどういうことか? それは購入層の殆どがもともと労働者階級で貧しく文革などでまともな教養を身につけてきていないからだ。 物を見たり使う知識なり、自分の審美眼が無いから、作る手間賃を考えてしか物を選べない。その結果絵の細かい物は時間と手間がかかると言う単純な理由から好まれるようになる。しかも写実的でわかりやすい。 「工筆画」が好まれ、「工」(手間)が「細不細」、つまり細かくないか細かいかが問題となる。 さらにここに文字を入れたがる。 絵画作品として文字、詩が入って完成するという考えは、文字が象形から発生した中国文化では極めて自然な成り行きだと思うが、問題は内容だ。 ガイジンの着てる変な日本語Tシャツのようでは如何なものか。。 昨日も山水の絵付け師に山とか水とか馬鹿馬鹿しいから敢えて入れるなと 言ったらショックを受けていた。。 蘭の花を描いて「蘭花」など敢えて入れるなと。 見れば分かるから。 文化の歴史が深い国なんだろ、もっと一ひねりして格調ある美しい言葉を入れよと。 小学生の名札かと言ったらようやく笑いだした。 全く何から何まで低層向けが流行る。 日本とて大差ない。 お呼ばれした先でヘンテコな急須や茶碗が出てきて 「どうですか」と聞かれると困ってしまう。 わーすごいロールスだと言って乗せてもらったら、靴を脱がせられて ゴム草履に履き替えさせられ、座ろうと思ったらシートに百円ショップの座布団が敷いてあったような感じだ。。 |
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日本でのこと
ある有名デパートで欧州の名窯展、即売会が開かれていた。 同時に日本の人間国宝(工房)の磁器をメインに和食器も集結して同じフロアで即売会が催されていた。 テーブルコーディネートの好きそうな女性を中心に、熱心な男性コレクターなど、欧州磁器の余りの人気ぶりに客足がもっていかれ和食器に人が集まらない。 私は和食器のコーナーに向かってみた。同じデパートの中なのだから本来お客さんには全ての品物をお勧めするべきなのだろうが、和食器の仕入れに関わってきたベテラン店員が、和食器を眺めているお客さんに和食器がいかに洋食器より優れていて、洋食器がいかに味気なく量産されたものか説明している。 私はどちらも風格が違うものだからそれぞれ素晴らしいと思うのだが、和食器の店員には自分が何十年やってきた世界での個人の主観的価値観の中でしか物が見られないことが話しぶりからはっきり分かった。 日本で知らんぷりしていろいろな店に入ると、少しでも気を許すとたちまち他所の物が悪いと言う話が始まる。 これは全く間違いだ。 それぞれに物の良さがあり、本来あるべき姿を手を抜いたり歪めていない限りそれはいいものに違いない。 例えば私も辛辣に物を言うが、それは善くないことをしていると言うのであって、個人的嗜好や偏狭な価値観でもって言っているのではない。 例えば宜興の急須を絶対と思って学習させられた連中はそれだけ金科玉条のようにして、他のものを試すどころか視野に入れない。 結果どうしようもない素材や焼成のものを使っていたり、ものすごい教養の無い物を使っていたり(造形に基礎理論の無い急須や、下手な字で馬鹿な言葉が刻んである物など)噴飯ものなのだが当人たちはそれが最高として他を疑って見ようともしない。 結局、例えば景徳鎮の素晴らしいものが出てきても目に入ってこないどころか、根拠のない悪口に走る。まじめ過ぎる裏返しかもしれない。 本物の景徳鎮の土が今でもあると言うのに間違った情報を読んで否定して歩いているような連中もまさしく同様な理由だ。悪気ではないが彼らの「正義」で許せないのであろう。 お茶もそうで最初に刷り込まれた物から抜け出せないでいる人が多い。 最初に悪いものを刷り込まれた人はそれを追求して他を否定して歩く。 どちらも気がつくと声が大きかった人の言うよいものだけになっている。 物に溢れ選択肢が豊かなようで全く選択肢が無い。 これはどうしたことか。 そしていい物は消えて行く。 顧客が自分の目でそれぞれの物の良さを見出せる力があれば問題が無いのだが今の学校の勉強法で養われた思考法では永遠に無理な話かもしれない。まじめに博物館に通ってガラス越しに見たものを学芸員の価値観でじっくり勉強して、他のものを見下しながら憤慨して過ごすしかないのだ。 |
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変形率が高く小雅すら放棄した総手工の洋食器シリーズ。
型を使わず一切轆轤引きで端正に焼成することに成功。 しかも薄さと軽さまで実現。 さすがに老職人の知恵は素晴らしかった。 染付以外に宋代の青白磁路線を一つ考えている。 |

