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【2026/10/02 19:06 】 |
果盤 細部



線描が飛ばないよう、色絵の具の保護を兼ねて珠明料で薄く上掛けされる絵付け。この珠明料を知らない人が透明な縁どりになっているのを見てプリント絵付けの糊しろと思いこんで譲らず、騒ぎになる。

顔料には必ず膠(にかわ)のような物が無いと紙と結合しないのと同じだ。

先日ある飲食店で、給仕された水にゴミが浮いていると大騒ぎしていた客がいた、レモンの搾り汁が入っていると聞かされてもなかなか降りあげた拳が下ろせないでいた。


相身互い、そう言った精神の社会が顧客と店の信頼関係を作っていたはずの日本だが、高度経済成長の頃「お客様は神様」のような商売人を馬鹿にした隷属的な、そして社会差別的発想を半島から巧妙に持ち込んで広めた人間がいるのでいつの間にか一般に浸透しておかしなことになってしまった。ただ媚を売ったり、どっちかを弱者に決めつけて叩きつぶすような発想は日本らしくない。
おまけに、神様の裏を返せば消費させてやろうと言う商魂。
売り手に思いやりが無くなれば買い手はいつも騙されまいと
消費者意識で防衛過剰に。


潜在的に過度な被害者意識が無ければ、店が手描きだと言って何時間、何年にもわたり説明していればそれで分かるはずである。

毎日使っていて、ある日突然誰かに何か悪いことを言われて全部疑い出す。

こんな消費者は始めから客の資格など無い。

全く物づくりの苦労も知らないし、客としての責任も無い。


必ず裏であそこの物はどうだこうだ言うのは日本人の習慣ではないか。

そんな事でいちいち毎日使ってる物を疑いながら暮らして息が詰まらないのか?

もうそんな事ばかりに付き合うことに終始させられるのはまっぴら御免蒙りたい。


客は選ばないといい仕事ができない。


先日も日本の大手企業の下請けが余計な事を言ってきたが、そんな注文断った。

物づくりの仕組みが分かっていない。

金を払えば何でもできると言うのは間違いだ。

一回きり、二束三文の仕事で、生産ラインをまわせと言うのだ。

一体幾ら予算がかかると思っているのか??

担当者にも、潜在的に客は何をしてもいいと思っていないか?

当然どこでも断られたはずである。

相身互いが復活すれば信頼感が回復し日本で働く全ての人の日常のストレスもだいぶ緩和されて仕事がますますスムーズに楽しくなると思うのだが。

まず日本人らしい意思の疎通が外来発想で完全に阻害されてしまっている。こんなことでは中国や韓国においあげられる。








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【2011/08/07 08:37 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
非売品
読んで字のごとく非売品。

景徳鎮ではこれまで作り手は自分の作品を味わうことなく生活のために全て売り払ってきた。

ところが振り返ってみると自分の手元には何の証も残っていない。

しかも同じものを作ろうにも材料が揃わなかったり、職人技が絶えてしまったり、生産コストも何十倍にも膨れ上がりため息が出てくる。


そして折からの人件費、材料費、家賃の高騰から(総手工に限る)磁器の値段もどんどんと上がり続け、今作っている物を今の価格で売ってしまっては何れ後悔するに違いないと言う感覚が広がってきた。

そこで販売用と自家収蔵用と職人と素材を分けたり、出来のいいものを自家用に仕舞い込んでしまうことが出てきた。
来年には人件費がどのぐらい上がるか予測がつかない。
今年と同じ予算で職人が見つかる可能性は年々低く、大企業に競争で負けて職人が捕まらない工房はあちこちで廃業して運転手など別の仕事を探さねばならない。
いっそそれならいいもの程売らないでおこうと言うわけだ。
私も磁器を作らせてはいるがそれ程生活の糧にしてはいないので
来年のコストの上昇を考えたり手間を思うと、今この値段で売りたくなくなるのだ。

言い換えれば、今どんどん幾らでも売りたい、売れる、作れる品にいいものがあるのかと言う話になる。

同じに見えても手に取ると細部がまるで違うのだ。
まあ鈍い人や感性のDNAが違う人には勉強しようが本を読もうが
感じることのできない世界だ。

そう言う人は無理をしてなんでも物を欲しがらぬことだ。

支払った値段と買った場所で満足感が得られるブランドの量産品を買えば一目おかれること間違いない。

窯あけ、「熱いから気をつけろ!」と半分言いかけて、
「非売品!」

指先が触れただけで違うものは違うと分かる。

何も箱に入って無くても関係ない。

総手工が大企業の繁栄の陰で消えれば消えるほど
簡単には手に入らなくなることでしょう。
私は景徳鎮に住んで業界の内部にいるので
総手工ばかりご紹介してきていますが
景徳鎮に観光に来たってそう簡単には探せません。
その辺がなかなか日本の市場には伝わりにくいところです。
むしろ中国人がよくわかっていて総手工の物を
全部買いあさってしまいます。

何れ「気付き」が広がったら総手工の景徳鎮など手が届かなくなるのでしょう。








【2011/08/06 23:33 】 | 現代景徳鎮用語 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ひらめき
本日店舗物件打ち合わせ。

貧困山間地の子供たちの安全な就職先を作りたい。

山の先生が手塩にかけて育てた子供たちが大都市で騙されたり

堕落するのは忍びない。

社会では私たちがバトンタッチしてもう少し大人になるまで面倒を見てもいいかなと考える。


【2011/08/06 09:24 】 | 本日の活動 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
想法不一様
最近外国人の仲間の間で、景徳鎮でちょっとした不快な目に合うと「想法不一様」と言って肩をすくめて笑うのがちょっとした流行りだ。

同行の中国人は何が違うのか、何が不快なのか、考えても分からない。
なぜなら中国人だからだ。

トルコ人の家を訪問した。
国の母親から送られてきたトルコの食品が満載だ。

「TAKARADA SANどうかもらってください。」

大きなスーパーの袋で一つ貴重な食品を渡された。

「いや、私は豚も食えるし、だいいちお母様がせっかくお送りくださったのだからあなたが頂きなさい。」


そう言うと

「私の愛する母が送ってきたからこそあなたにも差し上げたい」

「ああそう、それなら有難く頂くよ。」

ご存知のようにトルコは食品は決して安くない。
しかも航空費がかかっている。
それでもトルコ料理が好きな私だからと
送られてきた半分近く分けてくれた。

「もし日本人ならあなたのような心地の良い贈り物は期待できない」

「何で?」


「義理で要らないものを物々交換のように回してくることすら平気な人たちは義理の体裁だけで動くからね、分かる?トルコ人は?」


今回もお買いものくださったお客さんの梱包に隙間があるとき、適当に手近にあったお茶など詰め込んで発送している。

大多数のお客さんは何か入っていたことを純粋に喜んで下さるので有難いのですが、中には、サービスをつけても当たり前なほど儲けているのだろうと逆算して勘繰る人が日本人には後を絶ちません。

きっとなんでも現金なそう言う家庭環境で育ったのだなと思います。

こちらはただただ遠いところから注文下さったので少しでも現地の空気に触れていただければと願って、輸送、梱包の安全な範囲でおまけのように手元にあった物を相手の好みなど想像して入れているだけで、商売とかそういう範疇で入れているのではありません。
お茶でも何でも贈答で倉庫が要るほど頂きますので気になさらないでおすそわけと思ってください。

寸志と言うことがありますが、寸志すら出し惜しみしたり警戒して拒絶せざる得ない日本の当節の風潮に抗議します。

トルコ人とそんな話をしたら、

「想法不一様」と言って笑いやがりました。


ちなみにトルコ人の母親の愛情をおすそわけ頂いた私は、
速攻義理で何かお返ししたりとは考えてませんが、
トルコ人の母親が、遠くにいて手が届かない、してあげたくても
息子にできないことを考えて、それが実現するようにトルコ人と付き合っています。














【2011/08/05 15:21 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
萧墅先生詩
戦中孤児時代、同じ四合院に寓居する古琴大師、管平湖先生に引き取られ育てられた現代中国の著名芸術家、萧墅先生。先日北京で張兄貴から先生が最近行方が知れなくなったと聞いたばかりだったが、先生が景徳鎮の展覧会で詩を残されていたことを知った。

20代の初め、如何にも鬼才風の先生とよく北京の琉璃廠の路地ですれ違ってとても深い印象がある。そして何よりあの管平湖先生に育てられたと言う伝説が深い興味を抱かせた。

琴、詩、書画、刻字などあらゆることに精通した人々の中で育つとどういう人材になるか。


題瓷芸展

中洲蘊絶芸 国風茫昆倉 陶史縁翰墨 瓷銘光祖魂 


1991年、北京の中国工芸美術館で開かれた景徳鎮現代陶磁芸術名作展を観覧後感想を署名とともに残した詩。

詩の出来はともかくこういうことをさらりとその場でしてくれると言うのは嬉しい。

お茶だの中国茶だのやって得意げな人でうちに来てこんなことしてくれた人は見たことが無い。共通言語も無ければ話題も合わない。

素晴らしい一級の絵画も書も気に留めず、お茶を何種類飲んだとか、何回中国に行ったとか、資格試験に幾ら払ったとか、そんな話は沢山である。
使ってる官窯の茶碗にも気がつかない。
満開の香りで選んだ中国バラの鉢植えを50鉢も用意して香りを楽しんでもらおうと戸外で茶を入れたら、家で茶碗を見せられなかったと悪口を言われるしまつ。

教わりながら客面で言いたい放題。果たして客の資格もあったか、幾ら使って何を言いたい放題してきたか恥の上塗りのような連中に物を売ってきた10年は惜しくてならない。




【2011/08/05 14:35 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(3) | トラックバック()
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