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【2026/09/27 00:57 】 |
最高峰の燃料確保
過去の活動の成果として、景徳鎮の誰も手に入らない最高の燃料が確保される目途がつく。広さにすると四国より広い範囲の最高の素材が自由に使えることに。
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【2011/08/29 21:43 】 | 本日の活動 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
老料の繊細な表現



売り切れのポットの一部分です。
様々な色合いのこれでもかと言うほどの賑やかさですが、それでも落ち着いて上品なところはオリジナルを見ながら老料で描かれた製品ならではの貴重な特性です。

配色や色合いのセンスや概念を失った現代景徳鎮人が書籍のみ参考にして作ったものとおのずから異なります。実物をよく見て体感、研究を極め
上品な老料で描かれて初めて実現する昔ならではの味わい。残念ながら生産量が極めて少なくなかなか入手は難しいものです。
現代中国人のあの服装のセンスを見ればそのままの頭で上品な物など生みだせるわけがありません。
偉そうに広場前でリムジンから出てきてまず手鼻を飛ばす中国人ですから。。
【2011/08/29 13:10 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
蕉葉琴
旅の伴に南宋琴を持ち歩くのもこの中国では安全上不安なものがある。無粋ではあるがこう言った物はやはり文物として博物館か金庫に納めるしかない。

そこで新しい琴を求めることにした。

北京では流石に皆清朝や明朝の物を勧めてきてくれるがそれとても贅沢なもので、この度は本当に新しい現代作家の物を探した。


ところがこれがまた作家物がどれも良いのは10万元以上する。
もう倍も出すと清朝の安い方が手に入る。
これではバランスが悪いので安いものを徹底的に見てたまたま出来の良いものを探すことに。安い物は1500元からある。

旅先で庭めぐりなどしながら弾くのだから少し遊びのある物が欲しいと、芭蕉の葉の形をした蕉葉琴を特に探すことにした。

いろいろ見るうちに楊州と四川の作家の両方に頼むことにした。
どちらかが当たれば幸いであろう。

呉先生の書斎でよく明代の蕉葉琴を弾かせていただいた。
あの形がどうも好きであるが、あまり装飾の激しい物も如何なものかとも感じる。

市場に出回っている物は安定して作りやすい杉製。

しかも桐として出回る殆どが泡桐であり、四川で言う青桐、梧桐の本式の物は加工が難しいのと、材料の枯渇と材を寝かせる期間が長いためどの作家も作りたがらないのでほとんどお目にかかることができなかった。

材木の見分けは難しいので泡桐も梧桐と言ってしまえばほとんどの人がそれで気がつかない。店も作家もその辺は器用にこなして売りさばく人が多い。

日本のコメは今年はどうであろうか?

皆が皆テレビに出てくるような立派な農家や米屋ばかりではない。

日本の世の中が中国のように始めから皆が嘘つきだと言うことが前提になってしまってはおしまいだ。世の中が疑心暗鬼にならなくてすむように細心の注意を払うしかない。そのためには買い手にも正しい知識をもつ努力をすることが必要だと思う。
桐に種類があることをはじめから知るべきだ。

長年まともなものを売ってきていつも理不尽に疑われ続けてきた私にはそう思える。





【2011/08/29 10:07 】 | 本日の活動 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
香炉
今、個人的に欲しいものがある。
香炉である。
琴を弾く時よく琴案に香炉を置いて香を焚く者がいるが、あれはよろしくない。
あんなものは安物のパフォーマンスでしかない。便宜上そうすることはあっても時間と状況の許す限り琴を撫でる前に室内のどこか別の場所に香案を置いてその上に香炉を乗せて誰かに空間を清めてもらう。

誰かにと言うのは、お茶も自分のよく吟味して、塩梅した誰かに入れさせるのと同じ理由である。余程の趣向を凝らした設定下の知音の如くのごく親密な関係でもない限り亭主が自分で多数の客に茶を入れるなど発想に無い。

もっとも人に任せて亭主の会話に終始したところで大方は牛に琴を弾く如くどんな素晴らしい何をどうしたところで所詮陽春白雪に終わる。

それゆえ最近は罪悪感から招かない、招かれないに徹してしまう。
必要に迫られ教えを請うにしても先方のご迷惑を考えると、先方も平素いかばかりのご不満かと思えば尚のこと足が重く、かといって余程の義理に厚く心の清らかな連中でもなければこちらが労を折ることももはや気がすすまない。
こりごりとまではいかずとも当節全く人付合いの難しいことと言ったら。

こんな会話が中国の友人たちとの茶席で最近でた。

その友人の中にA女史がいる。

彼女は平素西湖の畔の山中の草庵で陶芸をしながら静かに暮らしている。
物静かだがいつも目が躍動的に輝いていて好奇心旺盛で何を話しても会話が滞らず楽しい。
草庵では余暇に香や簫を楽しんでおり、香炉の製作に日夜励んでいる。
作品は売りに出したことはないと言う。
その作品が本人は謙遜するが実にすばらしい。
発展途上であるのは確かであるが、他にない失われた古典的中国の
フォルムを持ち合わせている。ちょうど私の南宋の琴や戦国の帯玉のような永遠を封じ込めた緊張感と美しさに溢れている。中庸が形になったようだ。景徳鎮で偶然出会った奇蹟的な二人の芸術家のうちの一人がまさしく彼女であった。

そんな彼女が作った香炉で室内を清められたら何と幸せなことか。
たまに本当に欲しいものができるものである。
子供のようにねだったら、売り物でも他所様に差し上げる様な立派な物でも無いと軽くかわされた。
そうしたところがまた作品に横溢していてたまらない魅力なのだ。

秋から彼女は私の琴の生徒の一人になる。
もちろん学費などとらない。
呉曙海先生も私から一銭も受け取らなかった。
私も同様、彼女が気に入ったので呉先生から受けた教えを
そのまま教えたいと思う。

いつかきっと素晴らしい香炉がひょいと現れることを祈りたい。
【2011/08/28 23:36 】 | 本日の活動 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
焼き上がり
日本のサイトで売られている景徳鎮製品をいろいろ観察した。

大体どこで誰が幾らで作ったか職人の人件費から土や絵の具の価格帯までよくわかる。

やはり一様に一回こっきりの入荷であることが多いのは、景徳鎮の問題点を露呈している。

毎回生産体制から製品まで安定しない景徳鎮。

私が過去扱った工房のものを取り扱っている業者もいるが、あいつらを相手では相当苦労を強いられるであろうと感じる。

いいと思って取引を開始してもたちまちレベルが落ちて行く。

安定した責任感ある窯元と出会うことは九十九里浜で昭和33年の10円硬貨を拾うことと同じぐらい難しい。

似て非なるもの。


仕方ないので各社の毎回のロットを見てその中から厳選して送っています。それでも質が落ちて駄目な時は取引停止してます。



【2011/08/27 21:44 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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