よくあるデザインで見落とされがちだが、実際の美しさは筆さばきにある。青花の絵筆をこれだけ流暢に扱うこと、そして線の方向性の扱いの巧みさは長い修業しないと表現できません。平板で死んだような物はよく見ます。色合いもよく見ると美しいです。このレベルの物はまず間違いなく普通の中国茶屋の店頭には置いてません。コストが高すぎて利幅が取れないからです。かといって適正価格で高く売りさばく自信もありません。
そこが悪循環の始まりなのです。そうやって悪いものばかり高く流通させた結果客離れ、客不定着を生みだすのです。そして最後は少なくなった客を奪い合い中傷合戦となるのです。全く顧客不在もいいところです。。
客も客のマナーがある。余り店同士を争わせるようなご注進ばかりしていると、相手にして欲しいのは分かるが問題だ。店主にけし掛けて善し悪しを争わせて決めてもらうより物の善し悪しは自分で見極めて行く店、行かない店を決めればいい。店側も個人の品性を見て、買って欲しいのは分かるが乗せられるべきでない。

ご覧のように民窯の躍動感ある筆さばきがここには生きている。
小さな蓋碗の絵付けとは思えない、まるで元代の大皿の唐草のようだ。
追記
線の扱いについてもう少しふれると、例えばそれぞれの唐草のラインを先端から更に延長線をひいて行くと線同士の重なりの関係が水墨画で言うところの蘭葉描法の基礎、「鳳眼」を為すよううまくできている。
おおかた駄目な物はこのラインの重なりについて理解、または習得できていないため、写したようでいて平板で駄目なものになるか、または全くでたら目な煩瑣な線の集まりにしかならない。構図とて同じことだ。
先にご紹介した青花金魚のシリーズもそうした様々な書や絵画の法則がキッチリと計算、応用されて出来あがっており、出鱈目にモチーフを配置しているわけではない。だから込入っても煩わしさはなく、清々しさがあるのだ。
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