
一体、子供たちになんとお悔やみをいってよいのだろうか。
全人生を貧困山間地の子弟の教育と自立、医療に捧げた友人の秦医師が昨日の昼交通事故で急死した。
同志を失った悲しみも然ることながら、残された教え子たちの悲しみを考えると胸が詰まる。
何の後ろ盾もない先生は本来貧しくて小学校さえも行けなかった延べ5千人の子供に高校までの教育を施し社会に送り出した、医者をしていれば国家要人の侍医にでもなれた腕前の人だった。清廉を画に描いた人だった。
一日の食事は茶碗一杯の白米とモヤシ、水は飲料生活用水を合わせて一人1リットルしか使えない山中の寒村で裸足の子供たちにゴム草履を履かせてやれたと目を細めて笑っていた先生。
子供たちが卒業後都会で大変な苦労をするので、どんな子も村を出ても安心して働けるよう景徳鎮に工房と宿舎を自分の教員の薄給から持ち出して借りて卒業生たちに運営させていた。その子供たちへの援助も今日からはもう無い。
7月、8月の夏休み。今年も景徳鎮に先生が村からやってくる。
そう誰もが思っていた。
近来好吗?在日本了吧,有一个很不好的消息告诉你,给我们看病的好友及医生秦老师昨天中午不幸发生车祸当场去世了,在桂林。昨晚上他的学生打电话告诉我的。我非常震惊,在几天前我在贵州时他还打来电话询问我近况,人就这么突然间没了
知日派の友人でもあった。
「あなたね、医者っていうのは病気を見るのが仕事じゃないと思うんだ。病気にさせないっていうのが本当は一番大切なんだ。あなたもご存知のように、中国は日本のように国民健康保険がありません。病気になれば貧しい人は薬代もなく、死ぬしかないのです。私の仕事は人を病気にしないことです。それと漢方が今の時代ほどイカサマになっている時代はありません。商業ベースで生産された薬草は気休めにもなりません。同じ草でも摘む時期や時間でも成分が変わるのですよ。。」
そう言いながら彼は一度も私たちから診療代や薬代をとったことはなかった。
「私は代々医者の家系ですが私ははじめ教育を目指しました。医学は後発です、はじめから医者の人から言ってみれば学生ですからお代はいただけません。第一貧しい人が多いところでお金なんてとる習慣がありませんよ。みんな気持ちがあれば薬草とか滋養のある食べ物とか現物で持ってきてくれます。」
わかりました。何かあれば教え子さんたちに力添えいたします。
「また来年の夏休み、景徳鎮で会いましょう!子供たちをよろしく!」
あの白い歯の笑顔とあたたかな声の響きは夏の白い雲と一緒にどこか遠くに行ってしまった。
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