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景徳鎮の総手工の一番苦手なものが洋食器スタイル。
特に乾隆期以降続々欧州向けのスタイルが生産され輸出されてきたが マイセンが磁器模倣に成功して欧州各地に磁器製造が伝わると 欧州で独自に製法が発展確立され現在の石膏型全盛の時代となった。 合理化の進んだ欧州製品に押されて景徳鎮は市場から消えていった。 ペットボトルや、携帯電話のように同じ規格という事は、どんなに高級品でも 量産品という事である。あらゆる店に出回り需要を満たすにはそれしかない。 その製品が本当に持つ人のステータスや教養、実用に供するに釣り合うかは 実は売価とは関係ないところであり、売価は多くの場合、大部分が中間マージンとして 消えている。メーカーがコストに予算をかけられず削る傾向はここにある。 有名で高いものを買って満足するのもありだが、「本物」に触れたとき 「実のないもの」の購入経験を擁護するために弾いてしまうのは 日本市場にみる消費者の痛い特徴である。 このたび、私の40年近い陶磁器との付き合いで出会ったことのない驚愕する事実と直面することになった。 私が岩手でぼんやり田舎の人を説得していた半年間、鴻海はあらゆるラインを停止、放棄して 洋食器ラインの研究に総力を挙げていた。 材料から分業の職人まで土下座しないと集まらないようなメンバーを頼みに頼んで集めて これまでの生産工程の数倍以上手間暇かけて物を作りだした。 一例は、カップ。二人がかりで描いて一か月に5個ぐらいしか描けない。 景徳鎮ではまあまあの職人でも一か月の給料は1万元以上する。 5万元稼ぐ人もざらである。 二千元三千元の職人は量産品程度の職人で使えない。 原石採掘から焼成、本金や高台研磨までそのレベルの人材を揃えだしたのである。 一点当たりのコストはすでに人件費も材料費もヘレンドやマイセンを遥かに超えており 本来デパートなどに出したらとんでもない値段になるものだ。 それは実用性、お茶の味などに如実に表れる。 絵付け、形成、質感、総手工ならではの良さはすでにどこも真似できないほど 技術を昇華させている。 そこに今回は石膏型を超える規格を轆轤形成で実現したのだ。 轆轤形成ができると堅牢性、安全性が出て、最高のフォルムと素材が使え、結果お茶が美味しくなり茶渋もつかないが、これまでは焼成時変形の出やすさと厚みが出て重さに引けを取った。 それでも最大限薄く、同じ大きさに作ってきたが、今回はポットからカップまで 轆轤形成の弱点をすべて克服した。 蓋のあわせも欧州メーカーや日本のメーカーが逆立ちしても出来ないところまできた。 そして何より素人でもわかるのは、其の質感と絵付けのすばらしさ。 この絵付けは恐らく染付では誰も実現できないであろうし、 西洋絵付けの最高峰も玩具に見えるほどの細やかさと伝統に裏打ちされた格調である。 一例を言うと、西洋絵付けでは陰影で鳥の羽毛を表現するが 景徳鎮絵付けは羽毛を一本ごと描いて羽毛そのものが陰影をだす。 まさしく宮廷絵画と欧州絵画様式の合体した乾隆以降の最高の技術が 磁器絵付けに踏襲されたものである。 あまりの完成度の高さと美しさ、本物の高級感に早く市場にお目見えさせたいと 気が逸る。 画像ではお伝えできないが、実物を手にされ、更にお使いいただいたら 本当に手作りで、こんなものが作れるのか?本当に縮小プリントしなくて こんな絵が小さな立体に描けるのかと驚かれるであろう。 当分は鴻海は全て私の手の中にあります。 価格も小売店価格は出さないでおります。 これが各国、各地に広がりだすと生産が追い付かず 入手難となります。 価格もあと半年はこれまでのラインで行くことになりました。 と言うより、私の方で安めに設定します。 小雅も茶杯が一個80元の時代もありました。 景徳鎮の大発展と職人争奪戦の事情を鑑みてお早目にお求めください。 PR |
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