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連日の接待と車の利用でまた少し太った。
久しぶりの曇り空を見て自転車で出かける。 気が向けば山荘まで行くつもりだ。 中医の先生が間もなく桂林に帰るので、滞在中のギャラリーに顔を出す。 この先生、美大出の学生たちが先生と言うのでてっきり本業を美大の先生と勘違いしていたが、実は高校の先生だった。 先生は40代後半。家系は中国医学の医者の家系。桂林の市内に育ち、山間僻地の貧困農村の子供たちの純粋さに触れ、その教育に挺身。 拝金主義の中国で薄給や様々な困難を顧みずこれまで5千人以上の子供たちに高校教育を施し世に送り出した。 本来なら労働のため小学校もまともに出られない子供たちが教育を受ける喜びを得て世に出る。 子供たちは冬すら履く靴も買えない。高地で1日に使える水は一人平均小型ペットボトル一本。これで飲料から洗面など生活すべてを賄う。 食料は茶碗一杯の米とモヤシ。 景徳鎮に来た目的は絵の得意な教え子に貯めた給料で店と工房を準備してやったことから夏休みだけ毎年景徳鎮に指導に通ってきているのだ。 先生の夢は教え子たちが景徳鎮で起業に成功して後輩たちに職場を与えてくれることだ。そして教え子たちと資金を稼いで、農村を借り切り、安全な農作物や薬草を栽培する基地を作ることだ。 野心に富んだ若い芸術家の開いたギャラリーが林立する中、どうりでこのギャラリーの連中だけ優しい美しい目をしている。人の話も疑って聞かない。 日本も景徳鎮も自分の都合と不安だけで頭がいっぱいの人たちに辟易していたのでここに全ての希望を信じて助け合う人々に出会い心を救われた。 その上連日の無料の治療と生活法、マッサージの伝授で慢性の肩コリや鼻炎がすっかり回復してきた。おまけに私の体から母親の体の不調まで分かるそうで、これからネットを通じて診察や治療をしてくれることに。 長年の血圧の治療薬でボロボロになった体も薬を飲まなくても長生きできるよう体調を元に戻して、血圧と調和して暮らしていけるように出来ると太鼓判を押してもらった。老人の血圧が高いことは必ずしも悪ではないと言う。眼球を見たりあちこち写真に収めてもらった。これが病歴のカルテになると言う。工場長始め連日聞き付けた連中が次々病気の根本原因と治療法を告げられ、投薬グループと非投薬グループに分けられ、今後発症しやすい病気を未然に防ぐあらゆる対処を教わる。ただ、薬はただ飲み始めてもいけないし、ただやめてもいけない。究極は薬はのまないほうがいい。先生のおばさんは90歳近いがとんでもない高血圧で元気に毎日暮らしていると言う。 糖尿病の治る薬すら出来ても広まらない社会ではこんな迷信みたいな物は広まり難いだろうなとみなで苦笑しながら茶を楽しむ。 全く医者も製薬も研究と経済活動優先だ。 その路線で法や社会、常識が整備され、助かるものも助からないへんてこりんだ。 今朝はあんなに苦しかった肩も鼻詰まりもすっきりだ。 大病の人ならなおさら楽だろう。 しかし今時こんな清廉な人たちをむしろ誰が信じるであろうか? 先生を山荘に食事に誘うことにして、自転車を置いてタクシーで出かける。 山荘で小川の魚を眺めたりしながらゆったりと席に着く。 名物の山の料理をいろいろオーダー。 イギリス人とブラジル人陶芸家が席に挨拶に来る。 慰問にブラジル音楽のCDをプレゼント。 先生が切りだした。 「私が何であなたとこうして毎日ご一緒しているかご存知ですか?」 「いやどうしてでしょう?こうしてお付き合いご同行いただいてとても感謝しています。」 「いやなに、今の中国では、私のように社会に献身しようとする人間は誰も疑って取り合わないのです。みな、お金と自分の都合で精一杯ですのでそんなお目出度い奴がいるものかと疑われ、分不相応な夢物語に人生をつぎ込んで愚かだと、心の耳で話を聞いてくれない」 「それはそうでしょう、私だってこれまで自分の一切生活を顧みず景徳鎮の地位、品質向上に尽くしてきて今ようやくこんな感じです。それでも日本の同胞からはいつも疑われ貶され、全く人はそれぞれの心の鏡と経験を通してしか物ごとを推し量る力が無いもんで残念なことです。」 「そうなんです、私はこれまでいろいろ他人に話したことは無いのですが、ここであなたに計画の全てを話したと言うことは私も自分で驚きであり、喜びです。あなたは邪な目で見ず疑わず真っ直ぐ聞いて下さる。漢方医は目をよく見ます。どんなに装っても嘘つきぐらいわかりますよ。」 「おお、それは怖いことですね。ささ、料理も出ましたのでお召し上がりください!」 食後山荘オーナーの工房と庭を案内。先生は先回は入れなかったという。 オーナーが西瓜を出してきてくれた。 先ほどのブラジル人が来た。ジョークも言わない。 全く、コーヒーが飲めない、自転車に乗れない、サッカーが出来ない 踊れない、歌えない、食えないブラジル人だが、なぜか陶芸と日本語は出来る。 「きょう、わたしは、ちょしわるいです。」 椅子に腰かけるとへたり込んでしまった。 熱中症らしい。こんな元気の無い彼は初めてだとみな狼狽しはじめる。 「今日は私はお医者さんをお連れしているので診てもらってください」 先生が脈を取ったりマッサージを始めてくれた。 先生の話では熱中症と扇風機が原因だという。 「扇風機使用を今日から止めなさい」 「Oh My God!わたししぬよ!」 「涼しい部屋に引っ越して寝なさい!」 マッサージを始めると苦痛の表情が消え、顔色がよくなってきた。 「あとはもうおやすみなさい」 オーナーや仲間たちから丁寧なお礼を述べられ、帰りの車を出してもらえることに。 それから先生と生徒さんを連れて小雅の工房を特別に見学案内。 参観謝絶の秘密工房を外部の人間が訪れるのは異例。 特別に工場長に景徳鎮での経営について講義してもらう。 工場長も純粋な彼らの態度に心打たれ、夜に自宅に招待。 歴代官窯など見せて生徒に勉強させることに。 内気で人と会いたがらない工場長はなぜか私の親しくなった人とは 何時間でも話せる。この晩は午前一時まで話し込んで、夜の屋台に繰り出した。 「先生、今年はこれでお別れですね。また来年の夏会いましょう。漢方の書籍は必ず台湾で揃えますのでお待ちください。私たちは全力で先生のお仕事を物心両面で応援致します。」 「どうぞ桂林にも遊びに来て下さい。治療はメールでやり取りして続けますのでまた連絡しますさようなら、お元気で」 「さようなら、お弟子さんは任せてください」 工場長が言った。 「なんて心の気持ちのよい人たちなんだろう。彼らと話している心から楽しい。見え透いた虚飾が一切ない。人の話も素直に一生懸命聞いてくれる、話し甲斐がある。」 「ああ、そうだな。楽しいな。、どうだ身体は?」 「ああ、だいぶいい。」 「俺もだ。じゃあまた明日な!」 家に帰り、貧しい山の中から着の身着のまま教え子を連れてきたばかりの 先生を想像した。 何と世の教育者がみな彼の様ならどんなに素晴らしいことか。 本来なら医者としても中央に出て大金を稼げる人が、吹けば飛ぶ村の給料で子供たちを育て、薬草を保護し無料で人々を診ている。 彼は数年前在家で仏門に入ったと言う。 金や名声や地位だけを根拠にする人々とは付き合いたくないものだ。 ああ、何と今朝は呼吸が楽なのだろう。それとも気のせいだろうか? PR |
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