
嬰戯図、俗に日本で言う唐子の図である。
いかにも中国の子供らしいが、北京や東北、上海の子供を見てもピンとこない。
しかし景徳鎮の街をゆくと、「あ、ほんとに唐子だ!」と思わされる子供で溢れている。
そして彼らは本当にイタズラっ子で遊ぶのが大好きである。
景徳鎮の絵付けの子供たちは実に生き生きしているが、温かな親の眼差しと子孫繁栄への祈りに磨かれてきた図案なのだ。
よく見て比べて欲しい。日本の様式化してしまって安物に成り下がった唐子と。
ものをよく見ないで安っぽい先入観とかで「ああ、唐子、安物ね」とコメントする人をたくさん見た。
日本でだけ見る現象だ。
中国が量産安物とか言われる筋合いはない。
その前に日本の窯業地が全国民そんなイメージを持つほど安物ばかり作ってきたのではないか。
日本のパトロン層も愛人と骨董屋ばかり食わせてないで、職人でも養ってみればいい。
ポーンと札束積んで、「どうぞ好きなもの存分にお作りなさい」って。
唐子の最高の名手は景徳鎮の王小妹である。
しかし彼女はもう描けなくなった。
愛情がついに生まれた本物の子供に移ったのである。
作品と人は一体である。
人を育てなければいいものはできない。
日本が駄目になってきているのは人を育てる人たちがまず間違っているからである。
日本が再生するには不適格者の職場追放も厭わない気概が必要だ。
まずは永田町から。
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