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北京に到着してから、骨董街の古い仲間たちに大変な歓迎を受けた。
皆20年近く経過して、昔と違って立派になってしまって誰が誰だかわからない人もいるが、成功者ばかりである。本業や国の仕事も持ちながら副業的に扱っている骨董品、美術品で成功して大変なコレクションを持っている。東京より家賃の高い この街で20年店を維持できたのだからそれなりの力があるということだ。 この何年来、中国で良いものを作ったがために、私を利用しようとした日本人、在日朝鮮人、中国人問わず、ずいぶんと貶められ、嵌められ、顧客まで噂でかく乱され展開に苦しんできたが、一部の嫉妬深い心の人の当てこすりだったと、全てが濡れ衣だったと分かってもらった。いわれのない事を広めて仇をなしてきた連中がどうだったのかが多くの実力者の間ではっきりして、さらに彼らからもいろいろな事実が出てきて合点がゆくものだからますますはっきりした。小雅を保有して私と全く交流が切れている人がいたら(ネットや店で買った普通の顧客を除いて)それはそういう人だったということだ。今後私が何もしなくとも彼らの名誉は地に落ち、じわじわと活動が狭まってゆくことだろう。古なじみもみな出世している。各界に知人も多い。 さらに顧客層の中央、地方の政府の実力者も今や全て身方となった。 中国全土の高官、財閥が最大の礼を尽くして景徳鎮を訪問、購入してくれるところとなった。来年にはいよいよ市の中心に資料室と応接室がオープンする。 津波で流された千点以上の展示予定品は惜しまれるが、それ以上のものを工場長が作ってくれるので少し慰められている。 どんなに邁進しても、津波で受けた傷だけは深すぎる。 最愛の収蔵品の多数を失った上、一時に沢山の親族友人を失った。 まだ一年も経っていない。復活、新興するのがものすごく早かったので、大昔の出来事のような気もするが、現実はまだ被災地の真っ只中である。 まだ見つからない人も多い。 これから東北に帰って私設の避難所と併設する事務所、工房をコツコツ作り始める。大災害時は誰も頼れないが、いざというときは少しでも縁のある人を助けたい。いざというときはお客さんでも同業でも気兼ねなく逃げてきて欲しいのです。 PR |
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