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熱波と喧騒の景徳鎮から綿花の茂れる平原を一路北京へ。
河北まで来ると残暑とはいえ空気がさらりとしてエアコンなしでも十分耐えられる。 胡同の並木道も渡る風に秋の気配が充満。 塀からのぞくザクロも花は終わり棗の実も赤く色づく。 友人の家で明代の漆琴を弾かせてもらう。 弦が勝手に掌に馴染んで枯れて沈むような深い好い音色である。 幽州を吹きわたる素風の趣かもしれない。 私が以前買って置いて行った本だと 恩師呉曙海博士の神奇秘譜の打譜本を出してくれた。 蔵書は津波で殆ど流されたので有難かった。 それから秘蔵版の博士の録音を出してくれた。早速ダビング。 私の好きな新疆の葡萄を食べて香椿の下で遊ぶ子供たちを見て和む。 夕方新疆料理の店で食事。 北京の友人達は黙っていても本当に心温かい。 日本や南方の何でも見栄や損得で動く連中とはだいぶ違う。 夜街を散策すると果物屋の前で子供が西瓜を買えと親にねだっている。 北京のスイカは広東の倍はあるから買ってくれと親を説得。 思わず笑う。 その広東の半分買う。 別の店を覗いた。 月餅が並んでいる。 先日甘い物に飢えて景徳鎮でも買ったが北京では気分が違う。 中秋節。 何と美しくも楽しい思い出ばかりなのだろう! そして後悔と懺悔の相半ば去来する。 折に触れ忘れたことのない友人たちの笑顔がまるで昨日のようだ。 光陰はまさしく矢の如く過ぎさり、皆どこでどうしているものか。 列車で同室の若者が三言二拍に読み耽っていた。 列車が北京へと入りかけた時、「杜十娘はどうした?」 と初めて声をかけたら爽やかに笑いながら、「今丁度そこだ」と答えた。 中国は今も昔も全く変わらない、中国では小説は小説であるゆえんだ。 魯迅を読む人は見かけないが三言を読む人はよく見かける。 しかしとるに足らぬことの中に真実がある。 杜十娘は決して遠い世界の存在ではない。 静かな北京の夜はいろいろ思う心の余白を作ってくれる。。 PR |
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