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津波で流失した明朝、清朝の書籍は戻りようもないが、新しい物が随分と上梓、復刊されていた。漢文であり縮刷されたものも多く流失した資料は字数にして膨大なものであった。しかも絶版の写真集も多く書籍だけのオークションに出しても相当なものがあった。当初は小雅製品同様書籍も見るのも辛かったが中国の友人たちの励ましで精神的に復活した。
拝金主義で大人が若者からの搾取ばかり考え継承を軽んず風潮の中、中国の若い人たちにできるだけ優良な伝統文化の橋渡しをせねばと言う使命感も生まれた。全国から景徳鎮に集まってくる陶芸家の若者を対象に琴や書画、詩、茶のサロンを開くため出来るだけの資料や書籍など北京から持ち帰らねばならない。 注意ここから先、言いたい放題です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 夜友人宅で明代の漆琴二面弾かせてもらう。 そのうちの一面が冷然と銘が刻んであり、詩が後から更に刻まれていた。 それがいかにその琴の音色と関連しているか説明した後、それにふさわしい曲調を数段弾いて見せた。所有者は周囲から音量が小さいことを指摘され悩んでいたようだが、案を叩いて本来の素晴らしさに納得された模様。よかった。 本質を知らない人は思いもしない様な事を疑問に思い意味不明の指摘してくるが、それでいちいち其物がいいのか悪いのか分からなくなり物を不安に所有していてはとんだお笑い草だ。 小雅を一度でもプリントだと疑った連中も画も描いたこともなければ、画も分からない連中に違いない。見てわからないから人の言葉で右往左往する。 早くそういう人の手から作品が離れないかと物を言えない作品のために心から願う。 PR |
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