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陶磁大学のA先生から携帯。童顔の微かに多部未華子風に見えるが舌鋒鋭い英才である。侮るとみなコテンパンにやられるが、ユーモアとウィットに富んでいて誰からも憎まれない。いつも学生や仲間に付き従われ慕われている。指示を仰ぐ携帯が鳴り止まないのでこの人と話すのは大変だなといつも思う。とにかく交際はめちゃくちゃ広い。この国での重要な参謀の一人である。
著名な芸術家の集まりがあるから出て来いという。 カフェの前で待ち合わせていると「おーい、おデブさん!」 なんだ、李先生、また変なファッションだね。 「また太ったね。」 しょうがないよ、接待が多くて。移動は車だし。。 そこに大きなBMがすっと入ってきた。 「紹介します、W先生です」 知的でスラリとした清潔な感じの青年がニコリと挨拶した。 彼氏が出来たかな? この国ではBMは関税で倍ほども高い。 ハムで有名な金華出身で中国では売れっ子の作家でもあり かなり成功している。 車に乗り込んで丁重に挨拶され、飲料渡されて会場に向かった。 途中失業している教え子を拾った。 奥さんが懐妊して仕事が必要だから今日のパーティーで有名な先生たちに 紹介してやろうというのだ。 車は別荘地帯に入ると渓流沿いの一番奥まった野草が静かに咲き誇る空き地に止まった。夏の虫が草いきれの中で鳴いている。 「こちらです」 案内されて小道をゆくと丁度松濤あたりにありそうなレンガ風石材外壁のモダンな豪邸が塀の奥にみえた。 重厚な門をくぐり抜けると芝生の庭にオブジェが点在し、一号館とでも言えそうなガラス張りの美術館風の建物は一階は高い吹き抜け天井の巨大な陶芸アトリエ。二階が明るいカフェ風のオフィスになっていて洒落ている。 建物の周囲は水が回され鯉が泳いでいる。 中庭兼通路を挟んで二号館は公館風住居棟。風情がなんとなく外務省の飯倉の公館を思い出す。しかし中は一階は広いロビーにバーがついて広い厨房が隣接している。 二回は居住スペースらしい。吹き抜けの階段が中央から上に伸びている。 これ、会社所有?個人宅? 「これ、W先生の家。自分で設計したの。」 北京釣魚台迎賓館の隣にある○達不動産の会長の別荘に泊めてもらったときもレベルの高さにびっくりだったが、アラサーで自分の才能だけでここまでやるW先生と、それが出来る中国社会は恵まれていると思う。私の日本での30代はどんなに頑張っても既製権力構造や同業、顧客からの足引っ張りと利用に喘ぐ地獄の不毛な日々だった。 下町の鉄工所程もありそうな大きなアトリエを抜けて二階のオフィスに行くと老若男女が集ってくつろいでいた。ソファで雑誌を読む者、眩しいほど知的で清潔感のある美しいモデルを座らせて彫塑を製作する者、パソコン開いて設計する者などなんだか皆自由そうだ。 一斉に振り向いて笑顔で迎えてくれる。 「こちらが日本の寶田先生です。みなさんもよくご存知の小雅の関係者で私たちの景徳鎮に少なからぬ功労があります」 この功労という言葉、あちこちで言われて痒くなる。90年代、中国で買官、売名する日本人を見て見苦しく思い、敢えて私はずっと存在を隠してこの街の窯元たちを応援してきた。反日運動で仲間が弾圧される懸念もあった。今も何も存在を公に披露することはないがあらゆるメディアで小雅が報道され、中国の著名人が使うようになると自然とその存在が「ある日本人」という形で紹介され、それを誰なのか探す人たちが出てきた。 実は現在の古琴ブームにも90年代初頭少なからず貢献した。当時国内では古琴のアルバムは少なく優秀な個人のアルバムはほとんど香港で出されていた。大陸のものは焼き直しのオムニバスが多く、当代の演奏の紹介はほとんどなかった。 それを優秀な演奏家を探して日、英、仏、中の解説付きのCDを国営の出版社や印刷所録音室など大変な思いをして巡ってアルバムを出させた。もちろん自費で。 1000枚作って売り切ったが、それが国内の著名な先生方の間で大変な評判となり 以降雨後の筍のように解説書付きの個人アルバムが出版され、古琴の一般社会への露出を飛躍的に高める結果となった。すべて中国人を全面に立てて自分は伏せた。 この国の人が喜べば死んだ祖父も浮かばれよう。戦争だけはどんな理由でもよくない。 夕暮れどきの中庭を抜けると芝生の裏庭があり、渓谷の清流に面していて瀬面の蜉蝣をついばんで鳥や蝙蝠が飛び交う。見上げれば険しい山腹は蒼然と藤や松のシルエットが美しい。 若者が竹を編んだゆったりとした背もたれ付きの腰掛けをいくつか運んで来てくれたので腰を下ろした。 太古から変わらぬこの瀬の音やコウモリや小鳥の声を聞いていると今までの震災の現実はなんだったのだろうと、違う次元を旅してきたような夢でも見ていたような不思議な気がした。 尖閣問題が浮上して日本人に対する反日教育もあいまって風当たりの強さを感じる。もしも私が中国人より中国文化について身につけたことが多くなければ恐らくこのようなリスペクトを受けた日々は過ごせないであろう。喉が渇いたと思ったら冷たいものを差し出された。食事の支度ができたのでお越しくださいと招かれて客間に戻った。 巨大な天然木の一枚板のテーブルにW先生が作った料理がざっと20品ほど並んでいた。 素敵な男性は料理も上手である。 今流行りの臭桂魚も日本の鰈の一夜干しのようで美味い。 今日のゲストは全て山東人ということであった。 山東人は嘘がなくて勤勉で忍耐力があって私は好きである。どこか明治大正世代の人間の匂いがある。そして彼らはよく飲む。山東人と飲んで勝ったことはない。 もちろん蒸留酒でアルコール度の高い白酒である。しかも乾杯は日本で言う一気飲み。 早速丼で酒が出てきた。 見た目は紅ワインだが匂いが白酒だ。見ると桑の実が漬け込んである。W先生の実家で作ったという。かなり強い。 これ飲まないとまずいんだよな。。 この両日忙しすぎてほとんど胃が空っぽ。 猛暑で脱水状態にこの酒の一気飲み。 嫌な予感がしたがまずは様子を見ることに。 続く 」 PR |
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