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久しぶりにこの二三日、茶器や倣古の人たちが作ったものを見に回って歩いている。
強く感じたのは、やはり総手工の茶器が減っていると言うこと。先日石膏型を作る工房を何社か回って見たときにほとんどの茶器のパターンを見せてもらったが、どこに出ている茶器も大元はそれら石膏型メーカーから素焼きした型形成の胎を買い求めて再加工したりしなかったり、そして絵付けだけ手作業で加工しているものだ。 大々的に店を張ってブランド風に売っているところのほぼすべてが、大したことない物に絵付けして、総手工とうたって販売している。 うっかり店構えにつられて有名店に入ると半手工芸の物が東京の店の総手工より高い値段で売っている。しかもこれと言って絵付けが優れているわけでもないし、絵の具の質が良いわけでも焼成がいいわけでもない。 極めつけは蓋碗。半日私の景徳鎮を熟知した足で歩いて総手工の物はほとんど出くわさない。それらしくして売っているが、素人を騙せてもプロはだませない。「ほとんど」というのはあるにはあるのだ。 ただ、ものすごく少なくてとんでもないところで売っていて見極めが難しいか価格が高いかだ。どの道、中国人のバイヤーでも簡単には見つけられまい。北京の潘家園市場や地下室、天津、上海でニセ骨董や量産手工茶器を仕入れているレベルでは総手工蓋碗入手は夢物語だ。しかも本景徳鎮土で素焼きしない本来の一発焼成の品など焼成成功率が低すぎてどこでも見つからない。残念ながら安定して高品質の総手工蓋碗、しかも一発焼成の染付を作っているところは私たちしかいないようである。。 それから大物作品を総手工で作っている工房を見学した。大きいものに興味の少なかったことを反省させられる素晴らしいもので、置く場所があればあんな巨大な物も置いてみたいと思った。品質や完成度は2mの小雅と考えていい。全く大した人たちがいるものだ。 景徳鎮人は焼き物ぐらいしかいいところが無いがそれで十分だ。 PR |
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