
昨年9月廃屋解体からほぼ一年かけての焼成実験、体験のための施設が完成した。すでに4回火を入れて実験してきた。付属施設も完成したことからワークショップ活動の幅が焼成に限らず広げられることになった。次はなんとか絵付けが楽しめ体験、理解できるところまで持ってゆきたい。そのためにはまずは生きた教材を沢山見ていただけるよう準備を開始。毛筆や書、東洋絵画から乖離した、というよりはその存在そのものを知らない人が増えてしまった現代日本で、本当に景徳鎮絵付けのすばらしさを知っていただくためにはフツーに書画に親しんでいただくのがまずは手始めであろうと考える。漢詩の勉強会も再開しようかなど思ったりもする。西洋絵付けが趣味として普及してきた今日、景徳鎮絵付けを代表する東洋絵付けも多くの方にその楽しさを知っていただきたいものである。
画像は伊達藩の画家、今の南三陸町出身の山内耕烟の青緑梅花書屋図と弟子で岩手県花泉町出身の小田島大鵬の青緑山水図。
今の県境と違う伊達藩領の交流が見える。中国から長崎経由で伊達藩に伝わった山水技法の系譜が東京画壇に出た大正時代、小島の手で洋画、近代日本画と折衷してゆく様相が看取され興味が尽きない。朝鮮総督、首相歴任の斎藤實がやはり作品を購入している。この大変な僻地で画業を志すのは、今の人間のように「好きだから」だけでは済まされない社会的困難が立ちはだかっている。徒歩の旅一つ命懸けの時代、探究心というものは現代人の何倍も熱かったに違いないと想像する。
右の山内の山水風景はやはり北上山地が海岸まで迫るリアス式の海岸線の参差折り重なる山々の風景に酷似し補景の樹木は海岸沿いに親しみある松の木が多数描かれる。
一方小田島の山水風景は内陸の風景とすぐわかる。渓流の両側には杉山が、遠景には雪景色のおそらく栗駒山が見える典型的な伊達藩内陸山地の風景である。
故郷を出ることが困難だった時代は困難であるが故、困難である程、画家の心にはいつも故郷がある。画家の描く人物画の顔が自然と自分に似てきてしまうように、画家の描く山水図はたとえそれが空想の風景であっても、どこか自分の親しみのある風景になってくるようである。
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