
画像は清朝道光年間、景徳鎮製のヨーロッパ帰りの器の精巧な復元です。
複製と言わないのは、複製、レプリカというといかにもスベニールショップやミュージアムショップの粗末なお土産のニュアンスがつきまとうからです。
オール伝統の景徳鎮磁器というものは素材の採掘から、絵付け焼成に至るまで大変な神業を必要とします。復元ということは技術も手間も素材コストも当時と変わらない、もしくはそれ以上のとんでもないハイレベルなのです。当然土産物屋に並ぶような値段ではありません。量産品に囲まれていると一点毎の職人の手間ということに割合と無関心になりがちですが、「なんだ、レプリカか。。」という聞いただけで見もしない人の反応を見るとその人の物に対する素養レベルが図らずも見え隠れします。
中国人が倣古と呼ぶ、古に習った模倣作品は日本では「写し」から「伝統デザイン」と言い換えられ、西洋ものでは「様式」とか「パターン」という言葉が便利に使われていますが、いずれも中国語では「倣古」の概念に相当します。
いわゆる偽物は中国語でも「假」jiaつまり偽と呼ばれます。
ではなぜ多くの倣古作品に昔の年号が記され偽物にならないか。
それは骨董屋さんや陶磁美術の先生では答えてくれません。
答えてくれるのはきっと大学院で書道や中国絵画、中国学など専攻した先生方ではないでしょうか。
質問です。
年号が入ったものが二つあります。
全く同じ絵の同じ茶碗です。
ひとつは倣古でひとつは偽物です。
なぜでしょう?
中国人はヒントを出すと小学生でもわかります。
なんの整理もなく中国の倣古陶磁器をニセモノ扱いしてきた人たちは
概念の把握が小学生以下だったことになります。
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