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読んで字のごとく非売品。
景徳鎮ではこれまで作り手は自分の作品を味わうことなく生活のために全て売り払ってきた。 ところが振り返ってみると自分の手元には何の証も残っていない。 しかも同じものを作ろうにも材料が揃わなかったり、職人技が絶えてしまったり、生産コストも何十倍にも膨れ上がりため息が出てくる。 そして折からの人件費、材料費、家賃の高騰から(総手工に限る)磁器の値段もどんどんと上がり続け、今作っている物を今の価格で売ってしまっては何れ後悔するに違いないと言う感覚が広がってきた。 そこで販売用と自家収蔵用と職人と素材を分けたり、出来のいいものを自家用に仕舞い込んでしまうことが出てきた。 来年には人件費がどのぐらい上がるか予測がつかない。 今年と同じ予算で職人が見つかる可能性は年々低く、大企業に競争で負けて職人が捕まらない工房はあちこちで廃業して運転手など別の仕事を探さねばならない。 いっそそれならいいもの程売らないでおこうと言うわけだ。 私も磁器を作らせてはいるがそれ程生活の糧にしてはいないので 来年のコストの上昇を考えたり手間を思うと、今この値段で売りたくなくなるのだ。 言い換えれば、今どんどん幾らでも売りたい、売れる、作れる品にいいものがあるのかと言う話になる。 同じに見えても手に取ると細部がまるで違うのだ。 まあ鈍い人や感性のDNAが違う人には勉強しようが本を読もうが 感じることのできない世界だ。 そう言う人は無理をしてなんでも物を欲しがらぬことだ。 支払った値段と買った場所で満足感が得られるブランドの量産品を買えば一目おかれること間違いない。 窯あけ、「熱いから気をつけろ!」と半分言いかけて、 「非売品!」 指先が触れただけで違うものは違うと分かる。 何も箱に入って無くても関係ない。 総手工が大企業の繁栄の陰で消えれば消えるほど 簡単には手に入らなくなることでしょう。 私は景徳鎮に住んで業界の内部にいるので 総手工ばかりご紹介してきていますが 景徳鎮に観光に来たってそう簡単には探せません。 その辺がなかなか日本の市場には伝わりにくいところです。 むしろ中国人がよくわかっていて総手工の物を 全部買いあさってしまいます。 何れ「気付き」が広がったら総手工の景徳鎮など手が届かなくなるのでしょう。 PR |
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