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「工人」gong ren
「打工的人」da gong de ren 景徳鎮普通語でこの言い回しも多い これは読んで字のごとく擅長つまり技に長じた「工の人」と捉えそうになる。とりわけ景徳鎮の工房で働く人を見ると、直接「職人」と訳したくなる。 景徳鎮の工人の工は「手間」というニュアンスが強い。 日本人が匠から連想しがちな「工」の精巧、精緻という意味とは感覚が少し違う。 精巧精緻なら、工巧、工整、工細という普通の言い方があるが、 この手間というニュアンス、例えば絵付けの細かい物は「工重」gong zhongと言われて工人からは嫌がられる。 哎哟,老板 goga(おそらく這箇) 画面工太重,画别的可以(恐らく不了)bula?(景徳鎮人に方言の表記を聞いても誰も答えられない) (あいや~、旦那、この絵付けは手間が多すぎる、他のじゃ駄目かい?) 一个工给多少钱?と同じ工のニュアンスだと言うことだ。 だから日本における職人の概念で匠の人、「工人」を雇うととんでもないことになる。 また「工人」は「労働者」「従業員」というニュアンスが強く、社長が職人を指して労使の関係から「工人」と言う場合もあるが、そのほとんどは言われたことだけに労働力を提供する「労働者」「苦役人夫」としての扱いとなる。 あくまでも工人の場合、労働者が些か絵付けができたり、轆轤がひけたりと言うことだ。そこには尊敬が無い。 分業制が早くから極限まで細分化された景徳鎮では分業を「分工」fen gongと言う。 伝統的にはそれぞれの職責の中で「師傅」shi fu(親方)と「徒弟」tu di 弟子に分かれていた。単なる徒弟制度の関係もあるが、雇われて来ていることもある。(臨時工)職人的存在があったとすればこの辺の人たちまでなのだ。 しかし共産党により工房の大規模国営化が勧められた段階で、旧制度は大規模に組織編成をされて、一部の親方を除きそのほとんどと徒弟以下は 「工人」(労働者)にされてしまった。 与えられた仕事を時間から時間、だらだらやっても何も変わらない日常。 ただでさえ怠け者の土地柄に、国営企業の観念が入り込み、職人は一切仕事に対し熱意も追及もしなくなってしまった。 非常に無気力、無責任、利己的で仕事に対する一切のプライドや責任感が無いのが「工人」と理解して差し支えない。品質が悪くても売れないのは販売部門の責任で自分たちは時間内仕事場で仕事したというのが基本的な考え方だ。 それゆえ優秀な指導者が四六時中見張らないと何も製品になるような物はできてこない。 それでは日本的に考える職人は存在するのか? 俗に言う職人気質と言うやつだ。 これはある。 一部の「師傅」の中と一部の師傅、徒弟出身経営者がきわめて 職人的な体質を持つ。しかしそれとて倒産させてはならぬと言う危機感から出発した実利的発想が中心で、何事も出発点は利益のための切磋琢磨である。今回はこの辺でいいという考え方で段階を踏んで向上してゆくので決してものづくりだけで生活が困窮することは無い。 それゆえ海外から景徳鎮に来て「工人」を雇って工場を開く人はほとんど失敗する。それぞれの分業単位でそれぞれ連携がなく無責任な仕事の押しつけで結局何もでき上がらないのだ。 職人という概念が違うことが理解されないと仕事を任せてもとんだ目に遭うだけである。 工人は手間の人、人夫であり決して職人ではない。 そこには職務に対する良心、規範性、精神性も哲学も存在しない。 有るのは疲労と時間と手間賃の概念だけだ。 いいものを作るのは工人ではないことをお分かり頂きたい。 PR |
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景徳鎮磁器を買う人、使う人、調べたい人が先ずぶつかるのが言葉と現実の壁、そして噂と故意に操作され書籍、論文になった情報。
骨董から現代茶器まで、買う人、使う人、調べたい人の実益になる情報と言うのはあらゆる書籍、文献、媒体で見る限り全て業者や団体の利益と個人的趣味、野心で操作されているか情報が古かったり、低い語学力やガセネタなどによる取材ミスなど現実にそぐわないものが多くなかなか見当たらない。 現在「景徳鎮」をキーワードに検索して出てくる日本の書籍や情報の殆どが実際にはそう役には立たないどころか、古い情報や誤った情報の使いまわしで誤解、勘違いを引き起こしている。迷信が独り歩きし既成事実化されているのが、外国文化を扱った趣味の世界にはつき物となっているが景徳鎮とて例外ではない。(例えば紅茶ポットの茶葉ジャンピングなど) これらの状況を改善し、また補うには現地の現場で職人や業者によって実際使われている生きた言葉を解説することで、その背景の現実を知ることから始めなければならないと感じる。 テキスト化されたものにあまりにも頼り過ぎて絶対視するあまり考えなくなった人々の末路は悲惨である。 せめてここでは生きた言葉を知ることで、ご自身で真実を発見、ご判断いただくお役にたてて頂ければ幸いである。 |
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