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細かい仕事、細工が細かい程度の意味。
現在中国で流行っている、絵付けはほとんど細密画や写実画を中心とした 「工筆画」である。 およそ絵が細かくないと売れない。 大変な弊害だ。 もうただ細かければそれでいいと言うのはどういうことか? それは購入層の殆どがもともと労働者階級で貧しく文革などでまともな教養を身につけてきていないからだ。 物を見たり使う知識なり、自分の審美眼が無いから、作る手間賃を考えてしか物を選べない。その結果絵の細かい物は時間と手間がかかると言う単純な理由から好まれるようになる。しかも写実的でわかりやすい。 「工筆画」が好まれ、「工」(手間)が「細不細」、つまり細かくないか細かいかが問題となる。 さらにここに文字を入れたがる。 絵画作品として文字、詩が入って完成するという考えは、文字が象形から発生した中国文化では極めて自然な成り行きだと思うが、問題は内容だ。 ガイジンの着てる変な日本語Tシャツのようでは如何なものか。。 昨日も山水の絵付け師に山とか水とか馬鹿馬鹿しいから敢えて入れるなと 言ったらショックを受けていた。。 蘭の花を描いて「蘭花」など敢えて入れるなと。 見れば分かるから。 文化の歴史が深い国なんだろ、もっと一ひねりして格調ある美しい言葉を入れよと。 小学生の名札かと言ったらようやく笑いだした。 全く何から何まで低層向けが流行る。 日本とて大差ない。 お呼ばれした先でヘンテコな急須や茶碗が出てきて 「どうですか」と聞かれると困ってしまう。 わーすごいロールスだと言って乗せてもらったら、靴を脱がせられて ゴム草履に履き替えさせられ、座ろうと思ったらシートに百円ショップの座布団が敷いてあったような感じだ。。 PR |
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読んで字のごとく非売品。
景徳鎮ではこれまで作り手は自分の作品を味わうことなく生活のために全て売り払ってきた。 ところが振り返ってみると自分の手元には何の証も残っていない。 しかも同じものを作ろうにも材料が揃わなかったり、職人技が絶えてしまったり、生産コストも何十倍にも膨れ上がりため息が出てくる。 そして折からの人件費、材料費、家賃の高騰から(総手工に限る)磁器の値段もどんどんと上がり続け、今作っている物を今の価格で売ってしまっては何れ後悔するに違いないと言う感覚が広がってきた。 そこで販売用と自家収蔵用と職人と素材を分けたり、出来のいいものを自家用に仕舞い込んでしまうことが出てきた。 来年には人件費がどのぐらい上がるか予測がつかない。 今年と同じ予算で職人が見つかる可能性は年々低く、大企業に競争で負けて職人が捕まらない工房はあちこちで廃業して運転手など別の仕事を探さねばならない。 いっそそれならいいもの程売らないでおこうと言うわけだ。 私も磁器を作らせてはいるがそれ程生活の糧にしてはいないので 来年のコストの上昇を考えたり手間を思うと、今この値段で売りたくなくなるのだ。 言い換えれば、今どんどん幾らでも売りたい、売れる、作れる品にいいものがあるのかと言う話になる。 同じに見えても手に取ると細部がまるで違うのだ。 まあ鈍い人や感性のDNAが違う人には勉強しようが本を読もうが 感じることのできない世界だ。 そう言う人は無理をしてなんでも物を欲しがらぬことだ。 支払った値段と買った場所で満足感が得られるブランドの量産品を買えば一目おかれること間違いない。 窯あけ、「熱いから気をつけろ!」と半分言いかけて、 「非売品!」 指先が触れただけで違うものは違うと分かる。 何も箱に入って無くても関係ない。 総手工が大企業の繁栄の陰で消えれば消えるほど 簡単には手に入らなくなることでしょう。 私は景徳鎮に住んで業界の内部にいるので 総手工ばかりご紹介してきていますが 景徳鎮に観光に来たってそう簡単には探せません。 その辺がなかなか日本の市場には伝わりにくいところです。 むしろ中国人がよくわかっていて総手工の物を 全部買いあさってしまいます。 何れ「気付き」が広がったら総手工の景徳鎮など手が届かなくなるのでしょう。 |
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本来公司体制を取り大量生産、大量販売様式の大規模工場が企業形式だったが、最近は生産、小売り、卸、広告まで自前で一体化して行い、全国展開する経営体を指して言うようになった。それゆえ、磁器メーカーといえどもどの部門が企業の中核であるか判別が難しい。つまり社長がどの業界出身でどの背景で儲けているのか一概に判断できないと言うことだ。これは日本とはまた違う中国独特の特権者優遇社会構造と関係している。とどのつまりどの部門も体裁であり磁器が単なる荒稼ぎの道具の一つとなったときは著しく品質が落ちるが会社と社長の名声は上がりゴミでも社長が売れば数千万でも売れるようになる。この富のスパイラルに入りこむと容易に抜け出すことは難しい。資金が有り余っている磁器を知らない連中が、どんどん大金を積んで参入して職人をひきぬき、工房を吸収し巨大化してゆく。有名社長の製品は他社と同じレベルのものでも景徳鎮市内で既に10倍以上の価格で売られている。しかし中国人も日本人もそれぞれの理由からそうしたものを買い、競争力の無い優良工房の生産力を破壊する。
莫大な資金量を有する連中は幾らでも家賃でも人件費でも出すので、家賃も職人の給料もバブル波にあがり続ける。当然小規模の工房は払い切れず廃業するか、下請けになるしか方法が無い。当然いいものが作られなくなる。 なぜ私が無名の小さな工房のブランド化、技術力、販売力向上を無償で応援するか、お分かり頂けると思います。身分を隠しながらみなと共に歩むのです。 |
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言い回しとして手工画的 shou gong hua de (手描きのもの)とも言う。
景徳鎮では主に販売員が手絵と言う言葉を多く使う。 プリント全盛の最近多く聞く言葉だ。 線描中心のただ細かいだけの絵付けが流行り出した頃からプリントと区別するため多く使われる。昔から外と仕事をしている職人は自分自身手描きの世界の人間なので敢えてプリントと区別する言葉に馴染まない。そこで敢えて説明する時も手絵という特別な名詞は使わず「手工画的」と言う言い回しを多く使う。 ぱっとどの言葉を使うかでその場に居合わせるのが店員レベルか本物の職人レベルかすぐにわかる。 |
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責任感と同じ。景徳鎮では責任心のほうを多く聞く。
景徳鎮人の責任感の欠如は半端ではない。 およそ物ごととは達成できないためにあるのだから 目先数分以内のことに熱心に関わるのは確約が無いから意味が無いと言う 感覚だ。 頼んだことは即座に守られない。 契約と言う概念はほとんど意味が無い。逃げておしまいだからだ。 例えば警察。 事件が起きても殺人以外はまず動かない。 泥棒や詐欺を捕まえても得点にならないし、疲れるよりはマージャンした り、タカッタ金で愛人と贅沢に暮らしていたほうが楽なのである。 だから事件に巻き込まれた人は予算が釣り合えば漸く警官に賄賂を払って 動き出してもらえる。 彼らには社会とか公とか他人とかは一切関係ない絵空事の世界なのだ。 有るのは目先の自分にどれだけ利益の供与が具体的に明確に存在するかである。 箸の上げ下ろしも全て目先の損得で一円二円まではじいて決めるほど吝嗇でもある。 だから日本の100分の一も他人に何か期待してはならない。 もらえる金以外のことで、出なかった携帯が折り返し当日かかってくるだけで有難いと思わなくてはならない。 そう言う土地柄で人を使って分業体制を敷いて良い製品を作ることが 如何に神経が破壊される行為であるか想像できるであるか? 札びらで職人の顔を叩いて悦ばせながら適当なものを沢山作らせて客に適当に言って売る連中以外この町では大成功はできない。 増益を追求せず手作りでいいものを手間暇かけプライドをっ持って作るなど、景徳鎮人にはヒアリングできない程通じないのだ。 始めは私の発音が悪くて、聞いても分からないと言われているのだと思ったがそうではなく概念が既に論外なのである。 宇宙人が突然来て全く違う次元の法則を話しているのと同じことだ。 良心ある経営者や外地から来て商売している連中は「景徳鎮で最大に問題なのは低民度より蔓延する無責任だ」という。 従業員の人選に何年もかかる理由がここにある。 |
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