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午前二時半。けたたましい爆竹の炸裂。
ブラスバンドが民楽調の厳かな演奏を始めた。 景徳鎮だけにどこか調子っぱずれだが、やはり厳かである。 政府は墓地の乱開発を防ぐため土葬を禁止しているが、儒教の思想の強い景徳鎮では火葬で親を焼くことは罪の意識が深い。 そこで夜明け前に葬列を組んで朝早く役所が始まる前に墓地のある南山まで紙銭をばら撒きながら行進するのだ。日本では野辺送りも最近は見なくなったが、景徳鎮でも伝統的な葬列はだんだん減少傾向にある。 昔はチャルメラや鐘太鼓の楽隊だったが今はサックスやトランペット、チューバなどのブラスバンドだ。闇の中爆竹の煙火に蛇踊りのように一列に走る楽隊の影が浮き上がる。 ご遺族は白い麻のような布をすっぽりかぶって棺を囲み大声で泣く。 泣き女も雇われている。 楽隊のほかに紙銭をばら蒔く農民も雇われている。棺の上には生け贄の鶏が生きたまま脚を括られてまるで神輿の鳳凰のようだ。 景徳鎮の人々はどんなに煩くても迷惑でも葬列や結婚式の騒ぎを嫌な顔一つしないで見守る。 人生の皆が通って行き着くところ。 本景徳鎮の人々は実は内面は寛容で穏やかな優しい人たちである。 傍若無人、街で困らせられるのは都昌始め周辺の低民度の流動人口である。 PR |
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