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【2025/05/19 19:51 】 |
職人時代
全く腕の良い職人を押えられない。

押えても、とどめておくことがこれがまた難しい。

特に若い世代ほど功利的で、労働条件、環境が少しでも悪いとすぐに来なくなる。

熾烈な引き抜き合戦も手伝って言いたい放題。

普通の日本人を遥かに超えた日収を手にしている。

ちょっとした職人で月収日本円で200万ほどある。

年で2400万+個人売買300万+家賃、雀荘収入300万、これが景徳鎮の職人の実態だ。

社長たちも之には驚きで皆頭が痛い。社長より収入がある場合もある。

売れないのよりも倒産よりも前にまず、職人が消えることが恐ろしいのだ。

今朝働いていたと思うと、午後にはもう他所で働いている。夜は夜で別のところが手間賃が高いと

そちらで働く。

職人も裕福であり、国際基準の美術品収入と景徳鎮生活物価の関係からかなり贅沢に暮らせる。

何もしなくても遊んで暮らせるから、社長の話などどうでもよいのだ。

彼らは自分では社長はしない。

社長が苦労が多くて儲からないことを知っているのだ。。

世の中も変わるものである。

一方で腕が無いと貧しい暮らしが待っている。

実力社会である。

職人の豪邸に遊びに行ったら子供が日本のアニメを中国語の字幕で見ていた。





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【2013/12/17 11:07 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
花火
景徳鎮の冬の夜空に花火が上がった。
雑踏の中、立ち止まってしばし眺めた。

ああ、誰かまた亡くなったのだ。
明日の未明、楽隊を先頭に、葬列は棺を担いで紙銭を撒きながら
墓地のある南山へと向かう。

この仕事をしていると、人の死目に行き会えないことが多い。
帰りの機上の新聞で訃報を知ることもある。
伯父の葬儀も無事終わったであろう。
いつも私はそんなものである。
もしいつか一人で死んでも誰にも恨み言は無しだ。
それまで、精々誰のことも一切よく覚えて心にとどめておこうと思う。

夜の工房で轆轤がくるくると回って、美しい器が次々と生まれてくる。
新しいものが生まれてくるのは見ていて楽しい。
この器も私たちがいなくなってもずっと後世に残っていくものと信じて
送り出したい。



【2013/12/13 10:27 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
本景徳鎮更に入手難に
物価と人件費の上昇がじわじわと小さな優良窯元をむしばみ始めた。
市場はほとんどがブランド(小雅など)か宣伝広告の強いところ(古鎮、九段)等に奪われ
下請けになるか、工房を解体して個人作家になるか、生産ラインを大衆向け量産品にするか
せまられている。決して売れないわけではないが、ややもすると職人が賃上げ要求で離れたり
他所に引き抜かれたり、いつもいくら売っても慢性的に資金が足りない。
楽な循環に入るには億単位の資金を回せないともはや景徳鎮では難しい。
勢い、方向変換しないところは生き残りをかけて、製品に「節約」をしてしまう。
これは手抜きではない。基本はできているが、贅を凝らさなくなるのである。

これまでも述べてきたが、第一ロットは大体いい素材がそろい、やる気も満ちていて
丁寧にあらゆる力を入れていい仕事をする。
ところが第二ロット以降手が慣れてくると、同じ時間で量を多く生産して
より多く稼ごうとする。

当然絵が簡素化されたり、形成が楽な方向に流れたりと、ギリギリのところで
どんどん省力化して行く。
最も効果的なのは素材の変更。
同じ絵付けでも胎を変えてしまったり、同じ磁土、釉薬でも弟子や下請けのものだったり
または絵具のグレードを落としてしまう。

過去一か月日本で販売したものの9割はもう市場に無い。
残りの一割はまだ売られているが、「似て非なるもの」になっている。
並べればわかるが、ネットでなんとなく見て覚えていた人は
うっかり買ってしまうかもしれない。価格はさらに高い。


例えば今日本に数点出ているカオリン入りのものは
所謂清朝のカオリン鉱脈もので粘性あり非常に硬くて艶やかな
密度の高いものである。

いま、ごく少数市場に出てきたものは、すでに土の配合が
変わってしまって、前の物とかなり違ってきている。

老料のポット、茶杯も絵付けが簡素化され素材も変わって
フォルムが荒くなって、値段は上がったがものが落ちているのでパスした。
最高の贅沢品を出したときにどうかゲットしてほしいと願う。
これらのものでさえ手に入れるのは困難なのである。
それを厳選された第一ロットを手に入れるなんて夢のような話だ。
大型の物になればなるほどである。

茶器は小さいのでまだ引っ張ってこれるが、大型のものは中国人が
特に欲しがるのでいいものは桁が違ってもよく売れる。
というよりは需要に追い付かないのが事実だ。

私の集めるものは優秀な人材、子供のころから商いをしたり絵付けをしていた人を
引き抜いて問屋をしてもらいながら私の留守中の最高ロットを買いだめてもらっている。
その中から更に選んでご紹介しているのが総手工本カオリン老料もの。
彼らはその他岩手焼成の景徳鎮白磁絵付けの監督などさまざまな仕事をしている。
優秀な人材がいてなんとか回るが、景徳鎮でこういった人材を探すのは
更に困難である。


皆さんの目にしている私の販売活動は氷山の一角で、商品を集めるため水面下で
とんでもない努力と多くの人たちの働きがある。


ブランドの限定品を並んで買う専門人員を雇っているのと同じだ。


小雅、鴻海はその点生産は少ないが、ロットが安定、というよりは、日々向上で
最良のものが安定して生産されるのでこういった苦労は無い。


今回は中級のものを集めて皆さんに楽しんでいただく予定で新サイトを準備していてもらったが
中級窯元達が一発楽に稼げる量産に共同経営で臨んでしまい、ひどいものばかりで
諦めた。中級品もロットで注文制作となりそうだ。

それなら鴻海で中級絵師の廉価シリーズを作ったほうが早い。

いろいろ苦労が絶えないが、お客さんにはぜひ今ある物でよいものを
順番に早めにゲットしていただきたいものである。


中国に行って安く買おうと狙ってる人はまず絶対同じレベルのものは
同じ価格では手に入らないことを知っていただきたい。
更に滞在経費を考慮すると万一見つかっても相当高くつくことを考えて欲しい。










【2013/12/10 09:12 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
景徳鎮帰還後の課題
この夏は猛暑と旱魃で景徳鎮に居られなかった。

本来岩手の夏をまだ見たことが無かったのでどんな感じか大体見届けて

景徳鎮に戻る予定だったが、刻々の報告にこれは行っても

捗らぬとあきらめた。



まず第一にゲリラ豪雨の増加で浸水することが増えた。



第二に経験した事のない猛暑で仕事場の冷房環境改善が追い付かず

体調を崩す職人が続出、エアコンが利いても室外の温度との差に体調を崩し

職業病ともいえる頚椎円が悪化する職人が増加。



旱魃による食料品の価格と質の問題もある。



人間第一ということ。





また材料や設備の管理も従前のようでは不十分である。



品質管理には徹底した状況の把握が必要である。



また猛暑で朦朧とした人々の起こす不注意による事故やトラブルも増加。

インフラの改善が進むものの想定外の人災も起こりうる。



ぼっとはしてられない。



【2013/09/16 01:07 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
景徳鎮の友人桂林の秦医師急逝







一体、子供たちになんとお悔やみをいってよいのだろうか。





全人生を貧困山間地の子弟の教育と自立、医療に捧げた友人の秦医師が昨日の昼交通事故で急死した。





同志を失った悲しみも然ることながら、残された教え子たちの悲しみを考えると胸が詰まる。



何の後ろ盾もない先生は本来貧しくて小学校さえも行けなかった延べ5千人の子供に高校までの教育を施し社会に送り出した、医者をしていれば国家要人の侍医にでもなれた腕前の人だった。清廉を画に描いた人だった。



一日の食事は茶碗一杯の白米とモヤシ、水は飲料生活用水を合わせて一人1リットルしか使えない山中の寒村で裸足の子供たちにゴム草履を履かせてやれたと目を細めて笑っていた先生。



子供たちが卒業後都会で大変な苦労をするので、どんな子も村を出ても安心して働けるよう景徳鎮に工房と宿舎を自分の教員の薄給から持ち出して借りて卒業生たちに運営させていた。その子供たちへの援助も今日からはもう無い。



7月、8月の夏休み。今年も景徳鎮に先生が村からやってくる。



そう誰もが思っていた。



近来好吗?在日本了吧,有一个很不好的消息告诉你,给我们看病的好友及医生秦老师昨天中午不幸发生车祸当场去世了,在桂林。昨晚上他的学生打电话告诉我的。我非常震惊,在几天前我在贵州时他还打来电话询问我近况,人就这么突然间没了



知日派の友人でもあった。



「あなたね、医者っていうのは病気を見るのが仕事じゃないと思うんだ。病気にさせないっていうのが本当は一番大切なんだ。あなたもご存知のように、中国は日本のように国民健康保険がありません。病気になれば貧しい人は薬代もなく、死ぬしかないのです。私の仕事は人を病気にしないことです。それと漢方が今の時代ほどイカサマになっている時代はありません。商業ベースで生産された薬草は気休めにもなりません。同じ草でも摘む時期や時間でも成分が変わるのですよ。。」





そう言いながら彼は一度も私たちから診療代や薬代をとったことはなかった。



「私は代々医者の家系ですが私ははじめ教育を目指しました。医学は後発です、はじめから医者の人から言ってみれば学生ですからお代はいただけません。第一貧しい人が多いところでお金なんてとる習慣がありませんよ。みんな気持ちがあれば薬草とか滋養のある食べ物とか現物で持ってきてくれます。」



わかりました。何かあれば教え子さんたちに力添えいたします。



「また来年の夏休み、景徳鎮で会いましょう!子供たちをよろしく!」



あの白い歯の笑顔とあたたかな声の響きは夏の白い雲と一緒にどこか遠くに行ってしまった。
【2013/07/08 10:19 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(1)
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