忍者ブログ
  • 2025.04
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2025.06
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2025/05/19 23:38 】 |
ホンハイの周さん景徳鎮市の大師に選定される
金魚や蓮池マグ、デミタスや梵字ポットの難しい龍やバラを描いていた周絵師が景徳鎮市の大師に選定された。
これによって今後周さんの基本的賃金評価が上がり、また個人的作品は今後どんどん値上がりします。
ですが工房の一員としてまだ仕事をしているので、こういった上手い人の作品を上級の器で手に入れる機会は本当にラッキーということになります。ネットで調べて頂ければわかりますが、政府に大師に選定されると作品を求める人が増えたり、政府の贈答品作成など携わったり一般の人が手に入らないような価格や流通に入ってしまいます。
工房が自宅なうえ、私とも懇意なので周さんも工房作品にしばらく携わるでしょう。
しかし大師としての仕事の比重が増せば、もう一般の茶器などに絵付けはしてもらえなくなります。
細密な小雅絵付けと画風が違ったのでちょっと周さんの絵付けを過小評価していた方も多かったのではないでしょうか?とんでもありません。難しい小ワザ、大ワザが満載です。
これからホンハイの試作やアウトレットもお手頃で出してまいりますのでこれを機に
ホンハイ作品をコレクションに加えて頂ければ幸いです。
カップや茶碗の売価の金額で個人的に大師に絵付けを頼んだら足りないと断られるでしょう。
社内マイスターと違って社会と政府が評価して作品価格が格付けされます。
紙に描いた作品と違って磁器絵付けはどんなに絵が素晴らしくても
工芸の付属品的な扱いが強く日本では安いものです。
しかし中国では磁器絵付けも一般絵画も同じに扱われます。
ホンハイは質も小雅を超えるほど高く、じつはお買い得です。

PR
【2013/05/22 04:21 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
一枚上手
工場長から電話が来て、ある局長の趣味で開いたサロンに呼ばれた。おそらく親族名義なのだろうが
贅沢な養生サロンで景徳鎮の富裕層が家族で来て茶を飲んだり、薬膳や灸やマッサージを受けたりしている。
入会金だけでもこの価格帯ではちょっと日本でも敷居が高い部類だ。
内部には売店もあり、宝飾品や南部鉄瓶、銀瓶などずらりと並んでいる。
工場長に案内されて行くと、馴染みの北京の社長と局長、中国茶器三大メーカーの春風の社長夫婦が待っていた。
いろいろと日本で欲しい物があるという。
内心無理だと思った。どんないいビジネスでも即金で払うといっても臆病で動けない
日本のジリ貧中小企業をたくさん見ているし、また連中に中国はどうのこうの悪口言われて上から目線で
けなされて時間だけ潰すのはもうたくさんだ。彼らの言う中国と我々は一切関係ない。
日本のそのへんの中小企業の国際性なんて中国の反日デモレベルだと恥ずかしく思う。
英語や中国語を聞いただけで開き直る。
アメリカ人もあっけにとられるが、日本人はビジネスに個人的意味のない先入観とか感情を持ち込みすぎだ。
いま、私があんたのものを1億で買うと言ってるのと中国のどっかの馬鹿が餃子に毒を入れたのと
何か関連があれば言って欲しい。
それとも民族差別主義者なのか?しかも私は日本人だ。
町のなんとかさんが手数料300万で買った中国の嫁に逃げられたとかなんで赤の他人の私が攻撃されなければならないのか?
中国=悪者のステレオタイプの頓馬が東北には多い。そんな奴が経営してれば東北の経済も
震災以以前からどうにもならなかったはずだ。。

それはさておいて、そんな日本に中国茶器三大社長のひとりの九段の段社長が日本を視察中である。
景徳鎮随一の商売人で知恵者。奢侈禁止令で売れ行きが鈍るなか、日中関係もなんのその
商機を探してアベノミクスジャパンを観察している。おどろいたぜ田舎の金持ちおっさんである。
段社長は広大な敷地を市政府からもらったので大きな工場や商業施設を作るに当たり
国内のみならずアジア全域を見ているのである。
迎茶の色絵マグは段社長の甥っ子の工房のものである。

こんな養生サロンでのんびりお茶を濁している我々より一枚上手ではないか!!

ふとした拍子で笑い話が飛び出した。
何かと思えば先日の香港人とスタッフの現地人への侮蔑的、高圧的な態度。
礼儀を知らない身の程知らずだと皆が呆れて笑っていると
局長がその無礼な社長と会社を知っているという。
街の功労者が地元の礼儀で勧められたタバコをくわえたとたん、若者たちに
「禁煙表示が見えないのか!タバコを足で踏んで消してこい!」と怒鳴られた
笑えない笑い話はこの瞬間から都市伝説化して香港人の会社名とセットで
景徳鎮社会に広まるであろう。
我々は宣伝料をいただかねばなるまい。
その土地にはその土地の礼儀作法が有り、差別的な空気は
言わなくても差別されたものは感じるものである。

同じ経営者のカフェでお茶をした。
白人や社長の友達がやることには何も言わないくせに
我々がセルフサービスと知らず、テーブルにカップを残して去ろうとすると
「そこの3人、カップをさげてよ!」

侮蔑の混じった強い口調で言われれば、周囲の視線が集まる。

マナーがあれば人に恥はかかせまい。

人に面子を与えることを知らない人物はこの社会では心底軽蔑され
いずれ誰からも去られて子供と事情を知らない貧乏旅行の外国人しか相手にしてくれないであろう。

ちなみに禁煙表示は退色してすっかり見えなくなっていて、私も気がつかなかった。
あれは完全に申し合わせでもないと皆がああいう態度は取れないであろう。
ワークショップ運営という隔絶された空間でカリスマ社長により一種のマインドコントロールが施されている。
内部だけの気遣いが絶対で外部はどうでもいいのがその証拠である。
皆口は笑っているが目は笑っていない。
内部のちからの序列だけに神経を尖らせ、一日中おべっかと威圧の使いわけである。
嘘の笑顔に騙されてはいけない。
利用価値のなくなった人間がいまどこでどうしているか見れば一目瞭然。

あの程度であれば、我々が市に建議してもっと素晴らしいものを作って、若者や来賓に尽くしてもいい。
我々が動けば全て本物であるし、誰も虐める必要はない。















【2013/05/19 04:17 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
外国籍華人の横柄
この街の香港人や台湾人、そして外国籍中国人は現地人をまるで野蛮人か奴隷のように扱うのに耐えられない。

確かにニューヨークや東京で暮らしている人から見れば手鼻を飛ばしたり声が大きかったり、タバコを吸ったりであるが、それと人格、性格とは全く別次元である。

ナイーブで優しいこの街の人に罵声を浴びせるゆな連中を私は許さない。

こういった連中はだんだんと国内では仲間を失い、媚びへつらい英語がカタコト話せる学生や院生ばかり集めて
大将になるが、周辺に現地の大人や実力者が集わないのが何よりのダメな根拠である。

景徳鎮には「送煙」といって相手に敬意を払ってタバコを勧める習慣がある。禁煙エリアは皆無に等しい。
あるところで禁煙を知らずに勧められたタバコを吸った工場長が大勢の前で使用人の女の子に野蛮人に物を言うように「禁煙だ、見えないのか!そっちで踏んで消してこい!」と罵声を浴びせられた。私もまったく禁煙エリアに気がつかなかった。

なぜ、普通に「先生、もうしわけありません、こちらは禁煙になりますのでこちらにどうぞ」と案内できないのか?
それは経営者の外国籍の中国人の態度そのものである。

使われている若者や媚びへつらう学生に責任はない。

私も慌てて居合わせた現地の連中に説明してなだめていると、外国籍華人オーナーが「人が話しているのにうるさい、口を慎め!」と衆目の前で怒鳴りつけられた。

質素な格好をしていても、我々はこの街の実力者である。

街で不機嫌そうな我々を見かけた知人たちがどうしたのか声をかけてくる。

みんな一様に経験済みであり、不機嫌になる。

「今度誰かあそこの名刺をもって来た奴がいたら門番につまみ出させろ!」

あの口調は北京人の市長のように口は悪くても最大限敬意を払って尊重してくれるのとはわけが違う。

北京を公用車でノンストップで案内される人間がたかが子供の集まりで
犬のように扱われた事実は、この社会では認めがたい。

必ず何かの結果が出ることであろう。






















【2013/05/17 09:40 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
結局、とどのつまり、自分しか関心ない人々
景徳鎮に来る日本人は欧米や他の国から来る人々と明らかに異質だ。
ここまで来て日本的排斥の発想で動く。
人を認め鼓舞することを忘れひたすら疑いの目と根拠のない優越感に浸る。
何より全く社会、文化、歴史、人々に関心がなく、自分の作品だけしか興味がない。
そう言う人が国に帰って門前で見たことをさも本尊を見たように語る。
足りないことは時代遅れの国内の書籍の受け売りでこなし自らのステージを上げようと画策。
そんなにご立派な方々なら聞きたい。
自己完結できるんなら景徳鎮に来ないで日本の田舎で先生って呼ばれながら
作務衣でも着てロクロでも回してればいいんじゃないの?
悪い宣伝塔として追放される前に、何か確固たる実績を残して欲しい。
そのための応援なら我々は厭わない。
君子は過ちて改むることを憚らない。


【2013/05/16 09:42 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
見当違い
日本から、ビジネスや交流、教員として景徳鎮を訪れる人は年々増加しているように思う。
私が景徳鎮に長期滞在するようになって20年になるが彼らとほとんど交流することはない。

なぜなら、私はいつでも景徳鎮の技術や政治経済の中心近くにいるのだが、遠くから見て、「ああ、日本人がいるなあ」と思うだけで、彼らはいつも景徳鎮の門前だけ見て帰ってゆく。

とても残念に思うと同時に、些か迷惑な話でもある。
門前だけ見た人間が少し喋り過ぎではないか?
個人の勝手な手前味噌な話で、同胞団を扇動しても何か結実することがあるだろうか?

とても日本人らしいのだが、彼らはいつも固まって、年功序列など日本人の秩序の平行移動の中で暮らす。
陶磁器を介在して皆が平等で自由な国際的な環境の中で一見して違和感を放っている。
そして一番の問題は、これも日本人らしいのだが、自分しか頭にない。すべてこれまでの自分の価値観の維持に躍起になり、相手に関心を持たない。わかりやすく例を作れば、ある現地の料理を食べたとする。自分の思っていたものと違う。するとすぐに否定に入る。ここはもとよりこういう味付けだとか、こういった需要や環境、伝統からこういう味付けになっているのだとか楽しんだり味わったりする余裕がない。「まずい」。その一言ですべてが終わってしまい、帰国しても「あそこの料理はまずい」だけで終わってしまう。こういう発想では何も広がらないし、成功しない。

現地の人や社会にも関心がない。関心というよりは違いばかり見て「自分の方が違う」という発想もない。
当然これまた否定的で、時に無理解から人や社会を軽視する。当然、何年いても中国語も景徳鎮語も話せないし
話そうともしない。それでこの国や土地、人々の何がわかるというのだろうか??


言葉がわからないと、当然通訳を付けるが、非常に残念なことに、これまた傍で聞いていて、役にたってちゃんと通訳しているのを見たことがない。。日常の挨拶の通訳ならいざ知らず、ビジネスやこの土地を知ろうというのなら問題だ。まず日本人はほとんど大学学区周辺に居住して外人や学生とばかり付き合う。通訳も二十歳そこそこの社会的経験も財力もない学生や若者に依存する。この土地で生まれても若者は世間知らずで何も知らないし、経済力がないので、何も見てきていないし、実力者から相手にされてない。そんな通訳を連れて、相手が本当のことを話すと思ったら大間違いである。いつも思うのは若い連中は、私の話していることが理解できない。ということは、景徳鎮で大人の言う話が飲み込めないということだ。もちろんその場の空気も読めない。私の身分がばれると学生は列を作って「世渡り」の教えを請う。その程度である。若者と言わず通訳に地元の第三者を連れ込むのはいいとは言えない。
大人の経験を積んだ通訳+現地の相手と親しい人を間に立てなければどうにもならない。自分で中国語が話せれば全て問題がない。「小僧」を連れてのこのこやってくることが無礼であったり、笑われていることの実感が欲しい。
学生はよくない。学生を通訳に連れているだけで我々は相手にしない。

世間知らずの学生が軽くあしらわれたことを通訳され、そのまま受け売りして喋ったり、適当な若者の「保身的変換」が入り込んだ通訳をそのまま理解するのは危険である。

いずれにしても底辺の景徳鎮だけ見て「遅れている」とか「何か教えてやろう」と思うのは日本人に強い傾向である。

この街に重要工程に建議、参画する日本人がいるのに、その存在を知らない、たどり着けない。
もうこの段階で、景徳鎮の何も知らないことになる。まともな大人の人脈があれば20年もいる私を
誰か訪ねてきても良さそうだが知らない。よほど彼らの活動範囲が狭いのだ。

私は景徳鎮で日本人の誰にも会ったことがない。しかし連中のあの頭では私のこの街での仕事の全体像など想像できるはずがない。名刺もないのだから。きっと脳内では「変わった人」「怪しい人」ぐらいで処理するのだろう。
浅はかである。そんなではここでは人の役にも立てないし、成功できない。早々にこの街からお帰りいただくのがいいかもしれない。

地元の産業の停滞すら手を打てない人が、人の国に来て何を教えようというのか?



























【2013/04/19 09:44 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
<<前ページ | ホーム | 次ページ>>