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【2025/05/20 03:15 】 |
老料柴窯粉彩花鳥図杯 5客






初期ロットの最後の方の絵付けです。

これ以降どんどん絵付けのレベルと素材感が落ちてきています。
おそらくこれを模したものが出回るかもしれませんが、素材、絵付け、ろくろ技術とこれを上回ることはないでしょう。

出てきてもごく少量、厳しい目の上客、そして同業小雅の私の注文品ぐらいでしょう。

5客組で25万円

完売いたしました
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【2012/01/01 23:42 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
ある日の日本にて
日本でのこと

ある有名デパートで欧州の名窯展、即売会が開かれていた。

同時に日本の人間国宝(工房)の磁器をメインに和食器も集結して同じフロアで即売会が催されていた。
テーブルコーディネートの好きそうな女性を中心に、熱心な男性コレクターなど、欧州磁器の余りの人気ぶりに客足がもっていかれ和食器に人が集まらない。

私は和食器のコーナーに向かってみた。同じデパートの中なのだから本来お客さんには全ての品物をお勧めするべきなのだろうが、和食器の仕入れに関わってきたベテラン店員が、和食器を眺めているお客さんに和食器がいかに洋食器より優れていて、洋食器がいかに味気なく量産されたものか説明している。


私はどちらも風格が違うものだからそれぞれ素晴らしいと思うのだが、和食器の店員には自分が何十年やってきた世界での個人の主観的価値観の中でしか物が見られないことが話しぶりからはっきり分かった。

日本で知らんぷりしていろいろな店に入ると、少しでも気を許すとたちまち他所の物が悪いと言う話が始まる。


これは全く間違いだ。

それぞれに物の良さがあり、本来あるべき姿を手を抜いたり歪めていない限りそれはいいものに違いない。

例えば私も辛辣に物を言うが、それは善くないことをしていると言うのであって、個人的嗜好や偏狭な価値観でもって言っているのではない。


例えば宜興の急須を絶対と思って学習させられた連中はそれだけ金科玉条のようにして、他のものを試すどころか視野に入れない。
結果どうしようもない素材や焼成のものを使っていたり、ものすごい教養の無い物を使っていたり(造形に基礎理論の無い急須や、下手な字で馬鹿な言葉が刻んである物など)噴飯ものなのだが当人たちはそれが最高として他を疑って見ようともしない。

結局、例えば景徳鎮の素晴らしいものが出てきても目に入ってこないどころか、根拠のない悪口に走る。まじめ過ぎる裏返しかもしれない。

本物の景徳鎮の土が今でもあると言うのに間違った情報を読んで否定して歩いているような連中もまさしく同様な理由だ。悪気ではないが彼らの「正義」で許せないのであろう。

お茶もそうで最初に刷り込まれた物から抜け出せないでいる人が多い。
最初に悪いものを刷り込まれた人はそれを追求して他を否定して歩く。

どちらも気がつくと声が大きかった人の言うよいものだけになっている。
物に溢れ選択肢が豊かなようで全く選択肢が無い。

これはどうしたことか。

そしていい物は消えて行く。


顧客が自分の目でそれぞれの物の良さを見出せる力があれば問題が無いのだが今の学校の勉強法で養われた思考法では永遠に無理な話かもしれない。まじめに博物館に通ってガラス越しに見たものを学芸員の価値観でじっくり勉強して、他のものを見下しながら憤慨して過ごすしかないのだ。











【2011/08/09 10:06 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
何だまだ写真撮ってたの!



日中の猛烈な暑さが、遠方の夕立から送られる涼風で幾らか和らいだ夕方の田舎道。

ぴとぴとぺたぺた。


兎が餅をついたらこんな音かなと思うような音に振り返ると小さな裸足の女の子が一生懸命小川の土手道を駆け上がってくる。

小さな両方の拳をしっかりと握ってぴとぴとぴとぴとっと目の前を過って、あれよと言う間に小さなお店の中に駆けこんでいった。

タラちゃんやイクラちゃんの足音がするのはもともとこの子供の裸足の音のイメージかもしれない。


お店を除くと女の子がおじいちゃんが瓜の皮をむくお手伝いをしていた。

写真を撮ってもいいよと言うので、女の子がつくつく動くのでうまく撮れなくて何枚か撮ったら、最後に

「なんだ、まだ撮ってたの?」

みんな笑っている。

お母さんが出てきて袋を差し出してくれた。

「これ買わないかい?」

中を見たら瀬戸物のビーズが入っている。

「要らない。」

「わははははは。じゃあね!」

危ない危ない。農民の商魂は半端じゃない。。

ちなみに女の子の背中の上辺りに見える白壁の褐色の線は去年の洪水の時の水位です。

【2011/08/08 12:59 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
果盤 細部



線描が飛ばないよう、色絵の具の保護を兼ねて珠明料で薄く上掛けされる絵付け。この珠明料を知らない人が透明な縁どりになっているのを見てプリント絵付けの糊しろと思いこんで譲らず、騒ぎになる。

顔料には必ず膠(にかわ)のような物が無いと紙と結合しないのと同じだ。

先日ある飲食店で、給仕された水にゴミが浮いていると大騒ぎしていた客がいた、レモンの搾り汁が入っていると聞かされてもなかなか降りあげた拳が下ろせないでいた。


相身互い、そう言った精神の社会が顧客と店の信頼関係を作っていたはずの日本だが、高度経済成長の頃「お客様は神様」のような商売人を馬鹿にした隷属的な、そして社会差別的発想を半島から巧妙に持ち込んで広めた人間がいるのでいつの間にか一般に浸透しておかしなことになってしまった。ただ媚を売ったり、どっちかを弱者に決めつけて叩きつぶすような発想は日本らしくない。
おまけに、神様の裏を返せば消費させてやろうと言う商魂。
売り手に思いやりが無くなれば買い手はいつも騙されまいと
消費者意識で防衛過剰に。


潜在的に過度な被害者意識が無ければ、店が手描きだと言って何時間、何年にもわたり説明していればそれで分かるはずである。

毎日使っていて、ある日突然誰かに何か悪いことを言われて全部疑い出す。

こんな消費者は始めから客の資格など無い。

全く物づくりの苦労も知らないし、客としての責任も無い。


必ず裏であそこの物はどうだこうだ言うのは日本人の習慣ではないか。

そんな事でいちいち毎日使ってる物を疑いながら暮らして息が詰まらないのか?

もうそんな事ばかりに付き合うことに終始させられるのはまっぴら御免蒙りたい。


客は選ばないといい仕事ができない。


先日も日本の大手企業の下請けが余計な事を言ってきたが、そんな注文断った。

物づくりの仕組みが分かっていない。

金を払えば何でもできると言うのは間違いだ。

一回きり、二束三文の仕事で、生産ラインをまわせと言うのだ。

一体幾ら予算がかかると思っているのか??

担当者にも、潜在的に客は何をしてもいいと思っていないか?

当然どこでも断られたはずである。

相身互いが復活すれば信頼感が回復し日本で働く全ての人の日常のストレスもだいぶ緩和されて仕事がますますスムーズに楽しくなると思うのだが。

まず日本人らしい意思の疎通が外来発想で完全に阻害されてしまっている。こんなことでは中国や韓国においあげられる。








【2011/08/07 08:37 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
直販、卸し開始致します
外事部から。

卸し、直販開始致します。

詳細は各商品の解説末尾に記載いたします。
【2011/07/18 14:19 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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