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【2025/05/20 16:00 】 |
村が店の質を決める


景徳鎮の飲食店の従業員は、大体ひとつの村の出身者で占められていることが多い。

例えば経営者や店長が自分の村から引っ張る場合もあるし、最初に住み込みに来た店員が村から同級生を引っ張る場合も多い。

その結果、店の気質は村の気質となる。つまり村の民度そのままのサービスや衛生観念となる。


チェーン店でどんなに内装が綺麗でも、貧困な田舎の村出身者が従業員だと、調理場にハエが黒だかりでも誰も気にしないし、料理にハエが入っても指でつまみ上げて提供してくる。


サービスもしかり。やる気などない。同じことを何回も言わせる。皿をくれというと水を持ってくる。頼まない料理が来る。

店員一人気が利かないならよくあるが、村全体の民度だから、揃えたようにみんな馬鹿の店は笑える。一年働いてもまだ料理を持っててんてこ舞い正面衝突したりしてる。
まるでドリフのコントだ。違いは長さんがいない。高木ブーとけんちゃんカトちゃん。仲本がドタバタ繰り返す。


画像はあるチェーンのカフェ。ウェイターが客のソファーで昼寝を始めた。



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【2012/07/30 14:38 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
雨少し


景徳鎮の今年の夏は雨が異様に少なくカンカンに照って暑い日が続いています。
連日が熊谷状態です。

景徳鎮市内から石炭窯の煙突が消え、空はすっかりきれいになりました。

今では夜は美しい星空が見えます。

再開発も悪いことばかりではなかったと振り返ってみると思います。

ただそれもビジョンあってのこと。


【2012/07/30 13:16 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
唐子


嬰戯図、俗に日本で言う唐子の図である。

いかにも中国の子供らしいが、北京や東北、上海の子供を見てもピンとこない。

しかし景徳鎮の街をゆくと、「あ、ほんとに唐子だ!」と思わされる子供で溢れている。

そして彼らは本当にイタズラっ子で遊ぶのが大好きである。

景徳鎮の絵付けの子供たちは実に生き生きしているが、温かな親の眼差しと子孫繁栄への祈りに磨かれてきた図案なのだ。

よく見て比べて欲しい。日本の様式化してしまって安物に成り下がった唐子と。

ものをよく見ないで安っぽい先入観とかで「ああ、唐子、安物ね」とコメントする人をたくさん見た。

日本でだけ見る現象だ。

中国が量産安物とか言われる筋合いはない。

その前に日本の窯業地が全国民そんなイメージを持つほど安物ばかり作ってきたのではないか。

日本のパトロン層も愛人と骨董屋ばかり食わせてないで、職人でも養ってみればいい。

ポーンと札束積んで、「どうぞ好きなもの存分にお作りなさい」って。

唐子の最高の名手は景徳鎮の王小妹である。

しかし彼女はもう描けなくなった。

愛情がついに生まれた本物の子供に移ったのである。

作品と人は一体である。

人を育てなければいいものはできない。

日本が駄目になってきているのは人を育てる人たちがまず間違っているからである。

日本が再生するには不適格者の職場追放も厭わない気概が必要だ。

まずは永田町から。




【2012/07/28 14:19 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
夏の日の思い出


景徳鎮も9月まで長い夏休みが続く。まだ半分ある。夏休みは人生と同じ、所詮何もないのだが、少年の心はいつも何かありそうな期待感と不安感が入り混じっている。
何か冒険がありそうで結局凡庸に何もないのが人生である。
保身慣れした身は時に夏の夢見がちな少年をみて懐かしく思うのだ。
隣町に歩いてゆくような小さなことでも子供の頃は大変な冒険したようで
夏休みが明けると何か違った自分がいた。
友達もなんか顔が違ってきていた。

子供は小さな冒険をしながら「当たり前」を身につけてゆくものだ。

それを姑息な保身ばかりに生きる教員や親が許さぬから、まともなプロセスを踏んで
男が育たない。

冒険がいつの間にかいじめや自殺になってしまった現代。

夏休みぐらい宿題なしでわんぱくに過ごしてもらってはどうか。







【2012/07/26 09:29 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
おじいさんの家

水車小屋を守ってきた斉老人の家。土壁に瓦が剥き出しの天井の民家。おばあさんが亡くなってからだいぶ経つ。息子たちは隣りに新しい家を建てたが、不便でも、父親が建て、自ら育ち、おばあさんと共に子供たちを育てあげたこの家に昔ながら住むのがいいのだという。蝉時雨の午後、団扇を手に開け放した木戸から静かに陽炎の揺らぐ小道を眺める老人。まるで懐かしい誰かを待っているかのようだ。長く生きていると、たとえそこにいまなくとも、いろいろな人やものが見える。私も少しそんな感覚が芽生えてきた。ただ忙しない日本の今の老人にはなりたくないものだ。息子の来客のために大変親切にいろいろ語ってくれるその背景に、息子も含め私たち後輩へのあたたかい眼差しがある。かと言って年長者の偉ぶったところもなければ、羽振りよい我々に卑屈なところもなし、見栄をはるわけでも自己顕示欲があるわけでもない。日本の60代、70代男と全く違う。淡々として自然なのだ。そして何より足ることを知り、善良なる人生への自信に満ちている。肩書きがあろうが無かろうが人の厚みは変わらない。おばあさんもきっととてもいい人だったのだろう。仕事を辞めてすぐボケたり、奥さんが亡くなるとすぐに死んでしまうような日本の男はきっと地に足のついてない生き方をしてきたのだろう。世間ではよくあることと思っていたが、それは間違いだと老人を見てそう感じた。すべてのはじまりは中庸である。
【2012/07/26 08:58 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0)
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