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【2025/05/23 11:11 】 |
燈台もと暗し
中国人は日本人が魚を捌くように動物を捌いて食してきた。
庭先で鶏や家鴨を捌くのはもちろん、羊や豚なども血から内臓まで全く無駄なく使いきる。

それゆえ動物に関しての感覚が非常に現実的で、可愛いとか愛護とかそういう感覚よりはむしろ農家の庭先にイモや大根が転がっているような感覚で動物を見ている。

日本では郵便屋さん泣かせの犬の放し飼いであるが、景徳鎮ではシェパードや猫、鶏、ウサギなど繁華街の歩道で各戸が放し飼いにしている。
犬たちは駆けまわり、ひよ子や兎が自転車やバイクの車輪の隙間を器用にすり抜けて遊んでいる。しかし犬は絶対おとなしく人に吠えつかない。
猫もウサギと抱き合って寝ているだけだ。

景徳鎮では「イモ」や「大根」「食料」が人間様にたてつくなど考えられないのだ。また「イモ」が「大根」を追いかけたり捕まえたりも考えられない。何か不都合があれば、動物たちは飼い主だろうと通行人だろうと会釈遠慮なく棒で叩きのめされたり、蹴りあげられる。犬など半殺しの目に遭う。
だから動物たちはとてもおとなしく、野蛮な人間たちの中で仲良くかばい合って生きている。人間が一日怒鳴ったりわめいたり喧嘩したりするのを他所に犬も猫も他の小動物を世話しながら一緒の段ボールで寝ている。

これこそ中国共産党、胡政権の打ち出した「和諧社会」その物である。

共産党の政策に最も忠実、もっとも「文明」的に「和諧」を実践していたのは路上の動物たちであった。

と言うことは中国人は「和諧」という当たり前のことが路上の動物に及ばないことを共産党は敢えてスローガンを打ち出すことで証明することになったということか。

優秀な動物は今後市で表彰してはどうか?

「和諧社会実践模範動物」の代表団を北京に表敬訪問させて景徳鎮のイメージアップ作戦はどうか?

動物は賭博も煙草も麻薬も喧嘩もしないし嘘もつかないし威張らないしみんな優しいし綺麗好きである。

いっそ動物にだけは景徳鎮の戸籍でもパスポートを発給してやっても国家的メンツはつぶれないのではないか。

それよりいっそ動物を役人にした方が国家政策は実践できるのではないか??









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【2011/07/15 11:03 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
蚤流行
衛生観念の低い景徳鎮では町のあちこちに昼間から大きなどぶ鼠が徘徊している。

人を恐れる様子もなく、人もさほどその存在を気にしない。
よく道端で鼠を足で踏みつぶしてそのまま放置されているのを見る。

考えれば恐ろしい。死んだ鼠からは蚤が一斉に拡散することをこの町の人は考慮しない。


最近景徳鎮の町ではペットを飼うことが流行している。

犬、猫、兎が圧倒的に多い。

しかし彼らの飼い方は我々とはかけ離れている。

街の雑踏で放し飼いするのだ。
市内の歩道ではバイクや人に踏まれないように器用に鶏や兎が自由に遊んでいる。

餌は猫もウサギも唐辛子の利いた油っぽい中華料理の残りかすや
野菜くずと米ですくすく育っている。
臆病でストレスに弱いという兎まで雑踏の中踏まれずに、みんなに触られても耳を持ちあげられてもひたすら甘えてくる。
犬猫と兎が仲良く互いを枕に寝て舐めあっている様子は可愛らしい。

路上で遊んでいる動物たちは夜は食用として誘拐されないように
寝室や台所で放し飼いする。

もちろん洗われることはほとんどないのでとても汚い。

大体が蚤がついていてひどいのは疥癬など皮膚病になっている。

当然家内や路上でも蚤が大量発生してくる。


ところが景徳鎮人は蚤と言う概念が無く、全て蚊の仕業と思っているから
どんなに痒くても対策を取らない。

蚊取り線香をたいても効果は無く、特に幼児や赤ん坊の被害がひどい。

全身刺されて目も開けられない子供が路上で掻き毟りのたうちまわっても
親は路上のテーブルでマージャンに夢中で気がつかない。
蚊に刺されたぐらいと思っているのだ。

これでペストでも流行ったらおしまいだ。


ペットの流行が蚤の大流行を後押ししている。

私も虫よけを各種しつこいほど塗布する。

先日来気がつかず外出する度足首回りを刺されてえらい目にあった。

景徳鎮は見る限り皮膚病の人が多い。

原因は至って簡単な菌によるもので日本では大病にはならないのだが
衛生観念が低く生活様式を不潔にしているため、疾病を重篤化させている。

世界で恐らく不衛生に一番無頓着な中国人すら恐れる景徳鎮である。


【2011/07/14 11:20 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
川縁カラオケ通り
昔の景徳鎮の市街中心部は昌江沿いの現在の太白園から珠山にかけての辺りで、プラタナスの並木のある狭い馬車道の両側に古い窯と同じ高温焼成レンガ造りの古い戸板の商店や家家が密集していた。馬車道から家々の間は細い路地(小弄)が迷路のように張り巡らされ、路地の角々には土地神が祀られ蝋燭や線香が点されていた。

夏ともなれば路地は風通しが悪く、人々は三々五々団扇を持って昌江沿いに涼みにやってきては賭博や囲碁将棋、下ネタに改竄された地方演劇など遊興に耽る。

日本からカラオケがやってくると川沿いには露天のカラオケやダンス社交場が増え、常設の飲食店と併設のカラオケ店も出来るようになった。

ところがここが昼間から酒を飲んで暴れる様な連中の格好のたまり場となった。低賃金の苦力のような人々からチンピラ、やり手婆あから爺ちゃん婆ちゃんひ孫と、近隣住民とでごった返している。

当然民度も高くないうえに流動人口も集まることから、酒も入って喧嘩が絶えない。先日も数時間も乱闘する連中がいた。見物人で垣根ができると中国人は面子があるから舞台から降りられなくなるのだ。
先に抜けた方が負けなのだ。
残った人間が周囲にどんなことを言うのか知れたものではない。
共倒れするか誰かが仲裁に入るまで終わらないのだ。
しかしこれはあくまで経済的に同レベルの喧嘩の場合である。

景徳鎮の病院は喧嘩と交通事故の緊急外来がほとんどであるのもうなずける。いつかも血だらけの僧たちが取っ組みあいながら病院に来て「静かにしなさい、ここは病院です!お前らを見てやらないこともないが。。」と医者に注意されながら賄賂を要求されていた。


先日の夜釣りで工場長にゴム長を無くされて、川沿いに探しに行った。
蝉しぐれの川沿いはプラタナスの街路樹の間から積乱雲の青い空と山並みが見える。川面を渡る風の匂い、草いきれ、子供のころを思い出す懐かしい夏の風景だ。

しかし私が心で密かに期待したのは喧嘩である。
サッカーやボクシング見物よりより刺激的だ。
中国人の思考が見えてこれまた面白い。
宋代の公案小説とそっくり同じような事が繰り広げられる。

いたいた、いました!!

前方に人垣が出来ている。ざっと見20人。
これは何かに違いない。

現場に到着するとタクシーが一台道の真ん中に停車していて傍らに電気自転車が横転している。


私もいつの間にか景徳鎮の方言が聞くだけは少し分かるようになった。
下駄の様な顔をした女性タクシー運転手が人垣の中に背が高くて身なりが(周囲より)いい私を見つけるや、私を味方につけるため私に向かって大声で京劇の様なしぐさを交えて何が起こったかか最初から説明始めたので私も逃げられなくなった。みんな笑って聞いている。


「あんた聞いておくれよ、私はなんにも悪さなんてしてないんだから、この商売始めてこのかた信用で顧客の安全を考えてないと続けられない商売柄安全には人一倍心がけてきたんだから、今もここに車を止めようとして細心の注意で車を寄せたんだから、ドアを開けるときもお客に言って前後に気をつけてそっとドアを開けた時、この酔っぱらい親父が電気自転車で勝手に突っ込んできやがって転びやがったんだよ全く笑えないね。」


そう言われて先ほどまで何でもなかった酔っ払い親父が
うーんうーんと唸りながら膝と腰をさすりはじめた。。

見たところタクシーもどこも壊れて無いし、電気自転車も大した傷も無く
親父の怪我も何でもなさそうだ。

恐らくタクシーの客だった10代の若夫婦が生まれたばかりの子供を抱いて炎天下心配そうに事の流れを見守っている。
まだ木陰だし風があるから新生児は大丈夫そうだが、かみさんの着けまつげが汗と暑さで外れそうである。

道路清掃のおっさんから、鉄筋、土管を担いだおっさん。
どっかのマネージャーから近所の人まで人がどんどん湧いてきた。
下駄の様な顔の演説を見物しながら、子供におしっこさせる母親、小さな椅子に座って団扇で扇ぎながら戸口からボケっと眺める老人たち。
手にどんぶり飯を持って立ち見する者もいる。

恐らく目撃者の、よれよれ麦わら帽子の道路清掃おっさんが竹ぼうきを結界にして下駄に近づいてなんとか仲裁したそうなのだが、口をはさむすきが無く、押し返され苦笑している。

何の被害も無く、酔っ払いが少し打ち身とかすり傷なだけだから、さっさと解散してもいいんじゃないかと誰かが言えばどうにかなりそうな雰囲気だ。両方の顔を誰かが立てればなんとか収まるほどの軽被害だ。
しかし見物人の増加に興奮した下駄は引き下がらない。

酔っ払いは涙目とも酒の充血ともとれない目で卑屈に被害者を演ずるべく
身体を押さえて同情を集める作戦に出ている。口で勝てなければ同情で勝とうと言うのだ。

下駄が大声で言った。
「あちらの家の角に座っているお爺さんが一部始終見ていたんだから聞けばハッキリしているんだよ何もかも。」

お爺さんが徐に立ち上がってこちらにやってきた。皆が展開に期待を膨らましかけたその時、お爺さんがふと立ち止まった。
一生懸命何か考えているが、何しに来たか忘れてまた元の門口の子椅子に戻ってしまった。。(笑)

そのうち誰も仲裁しないので下駄も、親父も「何か違ってきた」という表情になり、携帯で身内の人頭を集め始めた。
数で勝敗を決める手に出たのだ!人が多ければ人脈もそれだけ多くなる。
勢力を見せつけて相手に退かせる作戦だ。


もうこうなると有象無象のカーニバルである。
期待に胸ふくらませて眺めていると
数軒先の飲食店から上半身裸のサングラスの兄貴たちが
博打を終えて出てきた。肩にシャツを引っかけて
金無垢のネックレスとシルエットの綺麗なブランド革靴が目をひく。
そして両肩には龍虎と槍の、胸には全裸の浮世絵女性の刺青が彫り込んである。。

兄貴たちは店を出ると真っ直ぐこっちに向かって歩いてきた。
皆の目が輝いた!!
流れから行くと、有象無象のどうしようもない喧嘩は、兄貴たちが
まあまあと言って仲裁、解散させてくれると言うような塩梅だ。
下駄は兄貴たちを味方につけようと意気込んで待ち構えている。
兄貴たちが苦笑しながらやってきた。

「おう、お前ら!一体どうしたって言うんだ??」

おお!まさしく期待通りの展開になってきた!!

「うあっ??なんじゃ~これは~??」


兄貴の驚きとも、呻きともとれない叫びに皆が固まった。

なんと今まで誰も気がつかなかったが、傍らに停車していた兄貴たちの外車のボンネットがものすごい傷で凹んでいるではないか!!


「おい、誰だ一体!俺の車に傷をつけやがったのは!!」

観衆の表情が一斉に微妙なものへと変わった。

つまらぬ喧嘩に終に漁夫が現れて窮地に追い込まれそうな二人を笑いたいのと、心配なのが入り混じって顔は引き攣りながら目だけ笑っている。。

「勘弁してくれよな、なんてこった。。よりによって。お前らのどっちかがぶつかったんだぞこれは!停めた時は傷は無かった。普通じゃないぞこの傷は!!思いっきりぶつかった傷だ。。ああ~。。」


「誰がどう言ったってあたしじゃないからね!!あたしゃ客を降ろそうと車をここに停めただけだからね!」


「お前がドアを開けた時ぶつけたんじゃないのか?」

「何言ってんだよ!このドアのどこに傷がついてるんだい??あちらの旦那がご丁寧にドアを開けたところに後ろから突っ込んできて避け損ねて転んだんだよ。あたしのせいじゃない!!」

「お前が急にドアを開けたからオヤジが避けそこなったのと違うのか?」


「そんなことあるかい!!こんなに距離を開けて車を停めたんだよ!そんならもともとあんたがたがこの大層な車をこんなところに勝手に停めとくから一時停車も糞も出来ないんだよ。ここは駐車場かい一体??」

「おうおう待てよおい。。落ち着け、今度は俺たちか?」

下駄のものすごい予想外の剣幕に兄貴も煙草をくわえながら苦笑した。

他の兄貴たちもすっかり興ざめして酔いもさめて真顔になってシャツを着てしまっている。次のスケジュールの調整に電話している兄貴もいる。あとから来たブランドサングラスの姉さんが若夫婦の赤ん坊を気遣っている。

兄貴が向き直って言った。

「じゃあ悪いのはお前だ!!」

皆が一斉にオヤジの方を見た。

「うーん、うーん。いててて。。」

おやじがわざとらしく苦しがった。

「俺じゃない。俺は転んだだけで悪いのはタクシーの女だ」


「ほらみろ!やっぱり悪いのはおばさんだ!」


「何だって分かんない人たちだね、あんたの車を傷つけたのは勝手に飛び込んできて転んだあの人なんだよ、あたしはとばっちりでえらい迷惑だよ」

「とばっちりって言うのはこっちのセリフだぜ、笑わせてくれるよなあみんな!それとも何か!俺の車がここに停めてあったんで全部始まったとでも言うのか?勘弁してくれよおばさん!俺がここに車を停めたって必ずしもあんたの車がここで停車したりおっさんが飛び込んでくるとは限らねえだろう??分かっか?」

「おう、兄貴、みんな向こうで待ってるんだぜ、雑魚相手にいつまでやってるんだよ、直したって幾らでもねえだろう。」

兄貴たちの内部分裂が始まった。


車の持ち主は修理代を意に介しているが、他は車なんて傷があっても走れるぐらいの考えだ、しかも他人のだ。

その時私は兄貴の外車すれすれのコンクリートの地面にできたての傷と白い塗料のあとを見つけた。


「見ろよ、これではっきりしなかったら何だね?」

姉さんがよってきた。


「あんた、そうだよこれだよ!」

傷は長く長く引きずって引きずってオヤジの電気自転車に繋がっていた。

「糞、やっぱりお前か!お前しかいないだろうどう見ても!」

「俺は悪くない!悪いのはタクシーの女だ!俺は被害者だ!」

「じゃあやっぱりおばさんにも責任は無いとも限らないな」

「冗談じゃないよ!あたしは普通に停めて普通にお客を降ろそうとしただけさ!大体あんたがこんなところに車を停めてるからみんなが半端に動かなきゃならないんだよ!」

「何で俺たちが悪いんだよ!こっちは忙しいんだ、頼むからなんとかして開放してくれや!一体誰が悪いんだ!」


「オヤジだ!」

「いや女だ」

「兄貴だって人を責められないね」

「兄貴~、早く行こうぜ!」

「何でだよ~、なんで俺がこんな雑魚に巻き込まれなきゃ無いんだよ。。」

「そりゃやっぱり酔っ払いのオヤジが悪いんだよ!」

「それは困る、俺たちも飲んでるしな、なんだよせっかく飯食って博打していい気分だったのに。。」



なんだか膠着してきた。しかも間もなくオヤジと下駄の応援部隊が到着する。。

兄貴たちはこんな雑魚のために面子を使って人頭を集めたり、皆の手前大声を出すわけにもいかずひたすら我慢している。
一体これからどんな展開になるのだろう。


「あ、いけない。工場長に置きっぱなしにされたゴム長探しに来たんだっけ。。」

私は後ろ髪を引かれる思いで現場を立ち去った。


途中ジュースを買って飲みながらだらだらと並木道をあるいて、昨日の夜釣りの場所に来たが既に清掃同志に持ち去られていた。

「何だ、がっかりだな。」

何気なくポケットに手を入れたその時、


「無い??鍵が無い??」


家の鍵が無くなっている!!!



続く
































【2011/07/09 13:37 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
拝金主義は心の文革
「衣食の足りぬ」ところに突然の経済発展を見た拝金景徳鎮社会。
外部との接触もなく既得権益の確保と外来の大規模投資の流れに
疑心暗鬼になったりお世辞を使ったり泣いたり笑ったり。
北京、上海人が国際都市の人間に変貌してゆくのとは違って
ここの人々は清朝に逆戻りしてゆくようだ。
テレビをつければヒロインは「札びらで顔を叩かれる怠け者のおしんのひそやかな復讐」が基本で日々一円二円の不足で医者が患者を追いだすほど
金以外の価値観の無さに皆が蝕まれ苦しんでいる。
警察が取り締まらないことは(取り締まるまでは)何をしてもいい。
そう言った民度のところに、現金以外正しい物は無いという感覚。
当然食品に毒を入れたり異物を混入しても貧乏よりは心が痛まない。


中国の伝説では人間は女媧氏がある物は自ら捏ねて作り、それ以外は億劫で縄を泥に打ちつけては引き上げ、その泥撥ね一つ一つが人間になったと言う。

前者は徳もありよくできていて、後者は救いようない不出来とでも説明したいのであろう。

前者が49年以降ボロボロに破壊され、残ったこのプラナリアのごとくの後者に支配された所に、急激な改革開放政策で拝金主義が蔓延。

旧社会が営々と築きあげて漸く蚊の鳴くほど存在した家庭や社会の良識や秩序と言った物はまたたく間に毛沢東語録の代わりにカードをかざして行進する「金衛兵」に乗りこまれて徹底的に破壊されてしまった。
皆心の安定を失い、いつも危機感に苛まれ被害者意識から揉め事が絶えない。それを解決するのも資金力のバランスである。
一円でも貧乏な方が黙る仕組みなのだ。
やけくそで「これこそ明快で合理的だ」と軽徳鎮人は語るが
本人たちはこれでいいとは思っていない。

年寄りは旧社会をしるからまだいいかもしれないが
生徒の目の前で教師が親に賄賂を要求するようなこんな社会で
育った子どもたちはどういった感覚の大人に育つのであろう。
金の無い人間は奴隷で自分より金のある人間にはいつも狙われなくてはならない。

一体どこに「心の平穏」と「人間対人間の関係」を楽しむことができるのだろうか?


人の形、街の体裁は似ていてもここは様々なサルが住むお猿街である。
強いサルは他のサルの子供を捕まえて煮て食ってもかまわないのだ。

このまま人の心が破壊されていいのだろうか。

物では満たされたが、心の問題は文革以上の悲惨さであろう。

【2011/07/08 10:49 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
値上がり値下がり
物価、人件費の上昇する中国ですが、景徳鎮の焼き物も値段が上がってきています。

それでも逆に安くなるであろうものもあります。
量産体制が整ったメーカーが激戦となり品質の良いものが
安くなる傾向も一部で出てきています。


しかし何と言ってもその磁器の手作りの割合が多ければ多いほど
技術継承者、素材も不足する昨今、継続的に値段の高くなることは疑う余地がありません。今より人件費も安くなることも無いでしょう。
そして中国は同じ文化を愛好する人口が多いため需要も今後も大きく見込まれ、日本のように若者の生活の多様化で伝統工芸品が苦戦するようなことも起きにくく、むしろ投資の対象としてますます手工芸がもてはやされることでしょう。

これまで他所の製品を褒めなかった工場長も何年かしたら物も価格も二度とこうは出来ないだろうと言っていろいろ買いあさっています。


何れと思っているうちに一生縁が遠いものになりそうなのが中国の伝統工芸です。



【2011/07/07 19:41 】 | 景徳鎮よもやま | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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