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日本の不景気な窯場の常識では想像もつかないだろうが、中国ではものすごい勢いで焼き物が売れている。焼き物ばかりではなく、日本の伝統工芸品の南部鉄の鉄瓶など大変な人気である。自分で中国に来て売ればいいのに、全く日本人自身が臆病というか相手をしらなさすぎるというか、マンネリでモチベーションが低くて同業など人の顔色ばかり伺い出遅れているとしか考えにくい。東北人など被災して余計なまけものになった。私はああいうだらしなくて傲慢な連中は同じ国民、同じ被災者として虫酸が走る程嫌いだ。報道と現実は違う。同じく、中国の陶磁器の売上もバブルだのどうだの言われても、国民全体の今後20年の需要は全く変わる兆しがない。自国の伝統文化を欲しがる国民性ではとても仕事がしやすい。この点日本は気の毒である。二十代の青年男女が有田焼など麻疹にかかったように欲しがるだろうか。ヤンキーが自転車乗りながら「俺今度の給料で鉄瓶買うんだ!」なんて会話してるだろうか。
それはさて置いて、当然需要が多いということは、最高級品は供給が賄えないということになる。一流の職人などほんのひと握りしかいない。 それが今度の大規模な市のテコ入れで優秀な工房は工業団地に移動するのである。 今までの10倍とか100倍とか考えられない土地や環境を与えられ窯元一社何億、何十億という投資をしてそれぞれの窯元が競って工房や公園、文化施設を併設するのである。 だが果たして、その規模に見合う職人が揃えられるであろうか。。 台湾、香港の投資で一気に上がってしまった人件費を更に九段窯の段社長が煽って日本並みに釣り上げてしまった人件費。 黄雲鵬社長や段社長など老練な富豪窯元が官民一体で繰り出すのである。 それだけでも恐ろしい。。 まさに戦国時代の様相である。 職人は一本釣りで釣り上げられ引き抜かれ、大きいところにどんどん吸収されてゆく。 市内に残る工房は家族以外は全て吸い上げられ干上がるだろう。 そして家族経営も維持できなくなると高い給料の大工場へと吸収されるだろう。 しかし、結局大部分の窯元を犠牲にして上げた人件費の競争は職人の怠惰を招き、 ほとんどの職人は仕事を捨て余ったお金で麻雀館や飲食など経営初めて辛い職人仕事から社長に転身して遊んで暮らすことになろう。 日本の10分の1で暮らせる町で、月収15万とか100万とか1000万とかわけのわからない世界である。作家など気ままに働いてマンション経営と郊外に豪邸を立てている。 庶民と焼き物世界の人間は王様と乞食ほど差がある。 大学出の知識人出身の社長たちと話すと共通した見解は、上級職人が前線離脱して経営者、アーティストになることで高級路線はまもなく崩壊するであろうということ。 絵付け一点あたりの工賃も昨年の倍になった。安物はそのままだが高級世界は本当にそうなのである。この辺、日本では感覚が伝わってない。。 本物の景徳鎮は実は今しか手に入らないのかもしれない。 過去の宜興がそうであったように。 景徳鎮市長に出す企画書書き終わるが、将来の展開を考えると不安が増幅する。 工場長は嬉しい反面不安で夜は寝付けないという。 |
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政治家が良いとこうまで違うものか。
中央高級官僚の地位と高額な収入を捨てて 由緒ある街と産業を伸ばすためすすんで地方の市長に。 滞っていた公共事業が次々完成。 腐敗、行政改革。 治安、規律の改善。 文化政策、経済政策の一体化。 問題解決のため自分の足で民に飛び込む。 「規模や資本の大小ではない、優秀な、勤勉な企業を伸ばすのは結果として国と人々の暮らしに反映することだ。経済にかすかな陰りが見える今こそ我々は何かせねばならない。我々は使っていない土地が山ほどある。これを政府が開発して企業に無償で提供しよう。どうか地域のため出来る範囲の投資をして後は政府のあと押しで地域のため、事業の質を上げるため頑張ってはもらえないか?」 日本の地方自治体の企業誘致とは全く違う。外から大企業を呼び込むだけでなく、地域の今ある会社の足りないところを各所から応援して伸ばそうというのだ。行政の積極的参加。しかしそれは紐付きではない。あらゆる決定権は全てこちらにある。簡単に言えば、いくらでも儲けてくれ、儲けるためのあらゆる障壁は取り除いてやるということである。 小さな自治領が与えられるのと同じ権限だ。そのぐらいやらないと起爆剤とは言えない。 汚い家に日本ならさしずめ小大名に匹敵する市長が飛び込んできて4時間も説得してきたら頑張ろうと思う。 日本企業も相次いで参加を表明。 どこの国でも地域でもいい。名君に集いたい。 景徳鎮では毎日デモが起きている。 それだけ意見が通るということ。そして鎮圧されないということだ。 問題は問題だが、めまぐるしい速度で人民が社会が自ら変わってゆく姿は なにごとも事なかれで腰が重い、変化を恐れて現実を見ない日本人には無い風景だ。 ひとりひとりに明確な意見がない日本人と、文盲でも地理がわからなくても政治や暮らしに明確な意見がある、活動に起こす景徳鎮人。後者に私は親しみを覚える。 |
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景徳鎮窯元の目覚しい発展の背景には共産中国のこれまでの自国文化に対する弾圧、利用の反発、反動が見え隠れする。
私の体験では80年代、90年代を通して文革当時にメチャクチャになったあらゆる情報と体系が鄧小平の改革開放路線、南巡講話をきっかけに堰を切ったように復元され始め、縦令其れが拝金主義の跋扈を招き玉石混交とはいえ大量の書籍が復刊、上梓されるに至ったことで春雨の地を潤すが如く国民の知への渇望を癒し、伝統への回帰を促した。 操作統制は受けても戦前と比べればくだらない情報の有り余る現代日本においては活字、情報への渇望などピンとこないかもしれないが、大東亜戦争時(中国においては抗日戦争であるが、歴史的評価と実質を考慮する)多くの将兵がジャングルの中で食料と共に活字に飢えたという。 中国戦線で転戦した我が祖父も昭和20年8月15日の終戦で武装解除。景徳鎮の隣の、九江市の郊外、周上里という村に国民党軍の管理の下抑留された。その折祖父を中心に同人誌が刊行された。同人誌と言っても物資もなく馬糞紙が一枚のような物にびっしり手描きされたものであったが抑留中の多くの将兵があらそって回し読みしたという。「人は食うだけでは満たされない」ということであろう。 一国両制、共産主義システムから実質資本主義への移行は朝令暮改、三寒四温の如く遅々として進まず、当初は私たちを苦しめた。しかしそれは恰も大陸の季節が嵐のあとに突然一気にかわるように現在の繁栄を齎した。 90年代前半、出版ラッシュ、情報ラッシュが始まる兆しとして、国営系の古い形態の書店が都市再開発でどんどん閉店、併合されより大きな書店、あるものは大きなブックビルへと生まれ変わっていった。書籍の陳列方法もそれに伴い変化して全集物が店の一番奥へ移り売れ筋のビジュアル的なものが良い場所へずらりと平積みされるようになった。 書籍そのものも藁半紙に毛が生えたような紙に質の悪い印刷だったのがみるみる紙質がよくなり、製本がよくなり、印刷が美術書でも白黒が主流だったのがオールカラー印刷のものなどの比重が増えて行った。 90年代後半に入ると「定番書籍」の焼き直しから新しい著作や海外の物からの翻訳ものやコピーが大量に出回り特に弾圧され破壊された古典文化に関するものが百花繚乱の様相を呈してきた。まずは新印古籍の大量復刊があり、それから簡単な入門書が並び、様子を見て研究書やエッセイが並ぶ。その慎重さも出版が自由になってくると、売名、広告まがいの情報操作などなんでも出てくる。売れればどこの出版社も似たものをだし、海賊版や落丁本が出回る。当然海賊版、落丁本は半額以下で売られるので市民が贅沢な本も享受する機会は間違いなく広がった。インテリ層は若い頃読めなかった物を自由に探し、市民は目新しい情報や、名前だけは聞いたことのある物事にまずは書籍から触れることになる。日本でも庶民はムック本やソノシート、憧れの海外旅行の全集などでしか楽しめなかった時代があるではないか。 書店の巨大化、非正規本の大量流通。著者、各業界の打算、ここに市民の乾ききった知識欲が経済力の上昇と共に一気に反応、大規模な消費をし始めた。それまで外国人と老人ぐらいしかいなかったような格調高い書店に今では子供から労働者の若者まで多くの層が並んでいる。 日本で大卒の初任給1万5千円ぐらいの頃レコードやスーツなど今と価格があまり変わらなかったのを思い出すと状況が想像できよう。 しかしそこは中国人、よく見ると事情はただの贅沢、娯楽ではなかった。 例えば子供の学習熱、進学競争、語学や資格取得などキャリアアップのための書籍に上昇志向の強い市民が群がるのは日本でも別に常態で特異ではない。 が、問題は 続く |
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